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[Sun Hung Kai Properties Part 8]★新鴻基地産を仕切る郭ファミリーその2。先見の明から一気に不動産業界大手にのし上がる 9/18更新

郭得勝、李兆基、馮景禧の3人によって1963年に設立された「新鴻基企業」は不動産にまい進していましたが、1965年は香港の金融不安が起こったりして経済は減速し、土地の価格は低迷していました。しかし、必ず不動産価格は元に戻ると確信していた3人は、安値でたくさんの土地を買いまくり、その後、約3年間で20棟のビルを建設します。彼らの読み通り香港経済は再び回復基調に乗り、加えて1966年頃から文化大革命で香港に大量の移民が押し寄せてきたこともあり、不動産需要が高まって会社は加速度的に大きくなっていきました。その勢いからこの3人には「三劍侠」というニックネームがつけられたほどです。
 
  1967年になると盟友の1人、馮景禧は一家でカナダのバンクーバーに移民しますが、馮景禧は子どもを残してすぐ香港に戻り事業を継続します。1969年になると,金融に専門的な強みを持つ馮景禧は「新鴻基證券」と「新鴻基財務」を作り、金融の道に進みます。それと同時に「新鴻基公司(Sun Hung Kai & Co.)」も設立されます。
 
  1972年7月14日、新鴻基企業は組織改編を行い「新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)」として出発します。
  そして、上場によって巨額の富を得た李兆基は独立して新しい会社を作ることを選択。残った郭得勝が新鴻基地産を1人で仕切ることになります。トロイカ体制はバラバラになりましたが、馮景禧は「新鴻基證券」など別会社を設立しても「新鴻基」の名前を使っていますし、李兆基は今でも新鴻基地産の副主席兼非執行董事と努め、経営には直接携わってはいませんが、郭得勝の後を継いだ自分の盟友の息子である郭炳聯(Raymond Kwok)にアドバイスを送っているようです。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 7]★新鴻基地産を仕切る郭ファミリーその1。創業者の1人郭得勝はYKKとも関係あり 9/11更新

新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)の創業者の1人である郭得勝は1911年にマカオで生まれ、広東省石岐(現中山市)で育ちます。実家は雑貨の卸売会社を経営し、彼は小学校を卒業すると父を助けます。その頃から抜群の記憶力があったと言われています。その後、家族は第2次世界大戦後に香港に移住して来ます。
 
  一家は、中国本土での経験を生かして、上環(Sheung Wan)に「鴻興合記雜貨店」という雑貨や工場で使われる各種材料の卸売りを行います。ここで、父の背中を見ながら経営を学び、店にも出ていたようで接客の仕方も覚えています。1952年になると「鴻昌進出口」という貿易会社を設立して洋モノの商品を専門に扱います。香港のみならず、マカオ、東南アジアにも広がったことから「洋雑大王」と言われるまでに成長します。業務内容の拡大に伴い店の名前を「鴻昌百貨批發商行」として日用雑貨と工場向けの原料販売に力を入れます。1950年代後半になると、当時アパレル産業が発展していたこともありYKKのジッパーの独占販売権を獲得により売り上げを伸ばしていきます。 
 
  また、1958年になると郭得勝、後の恒基兆業地産(Henderson Land Development)の創業する李兆基、馮景禧ら8人で「永業」を創業し不動産業界に進出します。1963年になるとこの3人は事実上、独立する形で「新鴻基地産」の前身となる「新鴻基企業」を設立します。100万ドルずつ出資して、郭得勝が主席、李兆基と馮景禧の2人は副主席に就きます。名前の由来は「新」は馮景禧がすでに持っていた会社の「新禧」、「鴻」は郭得勝の会社「鴻昌百貨批發商行」から、「基」は李兆基の基から1字ずつとったという、わかりやすい名前をつけました。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 6]★2代目トップで、その後独立した長男が入院!9/4更新

香港第2のデベロッパーである新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)の2代目のトップで、現在は帝国集団(Empire Group)を率いている郭炳湘(Walter Kwok)主席が8月27日に自宅で倒れ入院したというニュースが流れ香港中がビックリしました。
 
  報道によると21時ごろに深水湾(Deep Water Bay)の自宅に戻り22時ごろの食事。22時45分ごろは邸宅内を歩いていました(散歩できるほど大きい家です)。23時45分ごろ同氏の家で働いている人(たぶん家政婦)が倒れているところを発見。呼びかけにも無反応であったためすぐ警察に通報します。3分後の23時38分、警察が到着。こん睡状態であることから救急車で湾仔(Wan Chai)にある律敦治醫院(Ruttonjee Hospital)の救急病棟に運ばれ救急の措置をうけました。その後、郭氏の家族が港安醫院(Adventist Hospital)に行く事を希望し、そちらに移り現在も入院しています。
 
  医者は、心臓または脳に血栓ができて血管がふさがり、心拍数が弱まり、それと並行して脳への血液が不足し倒れた…もしくは同時にそれが起こった可能性があるとしています。
   状況は厳しくこれから1カ月間が大事だそうで、それを脱すれば3カ月から6カ月くらいで回復するだろうとしています。
 
  この郭炳湘は父親から引き継いだ事業を弟と2人で協力して事業を拡大させて来ましたが、97年に誘拐されたり、それが原因でうつ病になったり、会社の経営でお家騒動がおこったりしました。そういうことで、次回から、郭家について書いていきたいと思います。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 5]★工夫したモール作りがされている「圓方(ELEMENTS)」 8/28更新

ショッピングモールの「圓方(ELEMENTS)」は、香港鉄路(MTR)が81%、デベロッパーである新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)が19%の権益を持つ2007年11月に開業したショッピングモールです。大きさは4フロア、100万平方フィートという巨大です。
  地球を形づくる5大要素=エレメンツというのがありますが、それをヒントに、「火(Fire)」、「土(Earth)」、「水(Water)」、「木(Wood)」、「金(Metal)」というテーマで各セクションが作られ、そこに約220の店があります。
 
  開業に先立ち、少し誤算と言いますか不運な面もあったと思います。それは2018年9月23日に開通が決まった香港と中国本土を結ぶ高速鉄道の「広深港高速鉄路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)」の客を取り込むことを期待して作られたからです。従来、高速鉄道は2015年に開通予定でしたから、3年もずれ込むことになったのです。新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)は不動産収入について、進出した店にとっても売り上げ予測を間違いなく修正したと思います。
 
  中国人を取り込むということで、店のラインナップとレストランは充実していますし、アイスリンク、シネコンを作るなど全部入りのシッピングモールにしたことです。特に考えられたのは、有名ブランドのエリアは2階建ての構造にした点です。ちょっとした旗艦店のような感じになりました。オープン当初は隣接する「環球貿易広場(ICC)」すらできていないので、このブランドのミニ旗艦店だけが客を引き付ける唯一のもの…と言っていいくらいでした。
 
  ICCの開業に合わせて、その入り口に「金」ゾーンがオープン。ここにほとんどの有名ブランドを移して、ICCに作られた展望台とセットで観光客の取り込みを行っています。
  そして9月23日の高速鉄道開業後は、中国人を中心とした大勢の観光客が訪れると予想されており、圓方は本当の意味での通常営業が開始されるということになります。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 4]★展望台を作ったICC 8/21更新

ビクトリアハーバーを挟んだ中環(Central)の国際金融中心(IFC)の反対側=北西部には2010年完成の環球貿易広場(ICC)という高層ビルがあります。高さ484メートルは香港で最も高いビルです。ビクトリアバーバーの東西から入って来る船にとっては、国際金融中心2期(2IFC)とICCがちょうど2つの巨大な灯台のようか感じに見えるようです。このビルを建設を主導したのも新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)です。
 
  このビルには2IFCにはなかった展望台「天際100(Sky 100)」が作られたことです。実は2IFCの取材をしたとき工事現場の監督に「2IFCには展望台を作らないのか?」と聞いたら「作らない。オフィススペースだけ」と回答してきました。ニューヨークの高層ビル群の多くは展望台があるから次の高層ビルは展望台を作ったほうがいいと思う」と言いました。小生の意見が取り入れられたとは全く思いませんが、ICCに展望台が設置されたことは香港観光には非常に良かったのではないでしょうか? あそこには、オフィススペースだけではなく、最高級ホテルのリッツ・カールトンがわざわざ中環から引っ越してきた位ですし、そこにある「Ozone」は世界一高い所にあるバーとして宣伝する事が出来ました。また、ショッピングモールの「圓方(ELEMENTS)」は、アクセスがあまり良くないハンデを乗り越えるためによく考えられたモールなので、つぎはそちらについて書きたいと思います。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 3]★飛行機テロでも崩壊しない2IFC 8/14更新

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件は世界中に大きな衝撃を与えました。特にワールド・トレード・センター(WTC)の崩落はショッキングな出来事でした。
 
  中環(Central)にある国際金融中心2期(2IFC)は2003年に完成したのですが、新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)が建設を担いました(実際にはその関連会社)。小生はその工事現場を取材した事があります。その時の工事担当者は「もし飛行機が突っ込ん出来ても崩落することはない」と話していました。なぜでしょうか? WTCは鉄骨の柱を組み合わせることで建設されていました。しかし、IFCはビルの中心にコアというのがあります。それは鉛筆の芯のようなものといえばわかりやすいでしょうか。ですので、飛行機が突っ込んでもコアで完全に止まってしまうほか、ジェット燃料が燃えて鉄骨の強度が弱まってもコアがビルの外壁を支える形になっているからです。
 
  また、コアと外壁は自動車のサスペンションのような構造で支え合っています。スキーで例えるなら、コアが自分の体で、サスペンション部分が腕、外壁がストックという構造です。これは台風対策でいかに強風を吸収するのかを考えて設計されたのです。
 
  当時、JFEホールディングスもビルの建設を担っていて日本人のエンジニアの人も働いていました。何百枚という設計図があり、結構、設計変更があるので大変だと話していました。
 
  また、IFCやそのショッピングモールを作るときに基礎をつくるため土をどんどん掘り起こしていきますが、それは香港ディズニーランドの埋め立てに使われています。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 2]★SARS対策を施した初のマンション、YOHO Town 8/7更新

2003年、香港は重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行に苦しみました。その原因ですが、香港のマンションならではの構造が被害を拡大させたからです。台所を含めほとんどの水の配管はU字になっているのはU字の底の部分に水をためることで、ゴキブリやネズミの侵入を防ぐことと臭気の侵入を防ぐ効果があります。それは細菌などが飛び散らない事も意味します。
 
  しかし、香港は多くの配管がU字いなかったり、水が干上がりやすい構造になっていました。SARSの拡大がひどかったのは MTR九龍湾(Kowloon Bay)駅に隣接する淘大花園(Amoy Garden)で321人もの感染者が出ました。発生数の41%がE座からで、部屋番号でいいますと各階の8号室が73%に達しました。つまり管でつながっているE棟の8号室の住民が多くSARSに感染したからでした。
 
  そこで当時、元朗(Yuen Long)の駅近くに建設中だった新時代広場(YOHO Town)は、U字の配管にしたりすることで飛沫感染を防ぐ対策を行ったというわけです。新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)も必死だったと思います。いまでこそYOHO Townのおかげで駅前は発展していますが、それまでは更地であまり開発されておらず魅力的な場所とまではいいがたいところでした。その上にSARSとなって経済が落ち込んだわけですから、売るためにはあらゆる方策をとったと言う事だと思いますが、その機敏な対応が新鴻基地産の評価につながった事は間違いないと思います。
 

[Sun Hung Kai Properties Part 1]★香港第2のデベロッパー 7/31更新

今回からは香港2のデベロッパーである新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)を取り上げたいと思います。デベロッパーですから、オフィスビル、高層マンションから、携帯電話のキャリア、スーパーマーケット、ホテルなど他のデベロッパーと同じく多彩な事業を展開しています。
 
  創業者とそのパートナーの話も面白いですし、後を継いだ三兄弟は喧嘩兄弟を起こしますし、そんなことしたと思ったら3人のうち2人が贈賄で逮捕されるなど波乱に満ちている一家でもあります。
 
  その一方で、贈賄事件があったものの、経営としては結構、堅実です。また、「長江和記実業(CK Hutchison Holdings)」を率いた李嘉誠のように派手な買収などはあまりせず企業としてはそれほど大きな話題を振りまいたというところはありません。
 
  昔、準大手のデベロッパーに勤めていた日本人の方に話を聞いた時、4大デベロッパーが建設したマンションの中で質が最も高いと感じるのは新鴻基地産の物件だと言っていました。そう言う意味で安心感があるのは同社が手がけたもののようです。実際、小生も物件に関して、新鴻基地産が評価されることを実感できたことが2回ほどあります。それが元朗(Yuen Long)に建設したマンション群の新時代広場(YOHO Town)と国際金融中心2期(2IFC)の建設現場を取材した時でした。次回はYOHO Townについて話したいと思います。
 

筆 者 武田信晃
E-mail nobuwork@hotmail.com
略 歴 1996年大学卒業し、新聞社、週刊香港で記者・編集者として従事する。2005年に独立してフリーランスのライターとして活動を開始し現在に至る。香港の政治・経済を中心に執筆する一方、ミーハーな性格から香港映画・芸能、レストランなどのサブカルチャーの記事も守備範囲で08年には『ファーストフードマニア 中国・台湾・香港編』(社会評論社、共著)を刊行した。また、スポーツ好きで香港セブンス、マカオGPは必ず現場に足を運んで取材を敢行する。一方で、カナダ人デザイナーと女性向けバッグLiuciaを07年に設立。ビジネスにも携わることになりストレスをためこむ。また、相方は香港の血を引いているため、香港市民の友人を持つだけではわからない香港を知ることになりディープな原稿を書くことも可能。
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