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[MTR Part 66]★最後に… 6/30更新

この香港トリビアは2008年8月11日から始まりました。足掛け12年、干支でいえばひと回りしたことになります。連載は、前半は「街」について、後半は「企業」についての話を書いてきました。
 
  街で言えば、香港は小さな街ですが、にもかかわらずそれぞれの街に個性がありました。前回までMTRのことを書いていましたが、それとは別としても、この連載がなければ行くこともなかった場所も間違いなくあります…おかげでMTRの駅は、ほぼ制覇できました。
 
  企業は、怡和洋行(Jardine, Matheson and Company)、太古集団(Swire Group)などイギリス政庁時代に力を持っていた企業もあれば、新世界発展(New World Development)、新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)など戦後に台頭してきた中華系の企業などこちらもバラエティーに富んでいました。紹介できなかった企業が多くあるのが唯一の心残りです。
 
  変化することで生きぬいてきた香港なので連載期間の12年という数字は香港の街が変わるには十分すぎる時間でした。実際、香港の街も都市構造も変化しています。皆さんご存知のように、ここ数年の香港は激動の時代を迎えていますが、間違いないのは、香港の歴史を考えると、その時代に合わせてどうやって生きていけばいいのかを理解していることだと思います。
 
  最後に、この連載に携わった方全て、特に連載する機会を与えていただいた天国にいる関さん、編集スタッフさんには大変お世話になりました。この場をもって感謝したいと思います。そして、読者の方、ありがとうございました。
 

[MTR Part 65]★MTRの各路線の紹介その11(その他) 6/23更新

ここまで港島線(Island Line)、[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)、観塘線(Kwun Tong Line)、将軍澳線(Tseung Kwan O Line)と東涌線(Tung Chung Line)を紹介してきました。ほかにも、南港島線(South Island Line)、迪士尼線(Disney Resort Line)、東鉄線(Esat Rail Line)、屯馬線(Tuen Ma Line)、西鉄線(West Rail Line)、機場快線(Airport Express)、軽鉄(LRT)、これに高速鉄道も含めるとたくさんの線があります。
 
  そして、これまでも紹介したように、現在も工事が進んでいますし、着工はしていませんが拡張計画もあります。現在の香港の人口は約750万人ですが、香港政府としては1000万人までは人口を増やしたい考えなので、新界(New Territories)を中心にまだまだ新しい街が開発される計画があります。それに合わせて香港鉄路(MTR)の路線も拡大される可能性が高いと思います。
 
  約40年前に香港に住んでいた日本人の方に話を聞いたことがあるのですが、当時のイギリス政庁は日系企業にトンネルなどの工事を受注させるのですが、信号システムなどを府埋めたオペレーションのところはイギリスと関係が深いところに入札を参加させたと話していました。イギリスが長年培ってきた植民地統治のノウハウなのでしょうが、返還後も順調に拡張してきたと思います。
 
  いずれにしろ香港においての鉄道会社はMTRしかありません。最近は特に大きな利益を上げているのに毎年値上げをしているという市民の不満の声が上がっています。不満があるということは、値段と提供しているサービスにかい離があるからこそなので、改善していくことを期待したいものです。
 

[MTR Part 64]★MTRの各路線の紹介その10(将軍澳線、東涌線) 6/16更新

今回は将軍澳線(Tseung Kwan O Line)と東涌線(Tung Chung Line)を紹介します。なぜこの2つを一緒に紹介するかと言えば、Part 59でも書きましたが建設が計画されている「北港島線(North Island Line)」を通じてつながる可能性があるからです。
 
  将軍澳線は北角(North Point)から寶琳(Po Lam)を結ぶ路線で、2002年8月4日に開業し、2009年7月26日からは途中駅の将軍澳駅からは康城(LOHAS Park)という支線も作られ、計8駅となっています。全長は12.3キロで1日33万人が利用しています。
 
  将軍澳エリアは、沙田(Shatin)地区と同じで香港政府が計画的に造成した住宅街なのできれいに効率的に整備されています。現在も開発が進んでいて人口増加が見込めることから、新しいショッピングモールが出来たり、フランスのスポーツ用品メーカーのデカトロンがここに旗艦店を開設したりするなどしています。
 
  東涌線は、大嶼山(Lantau Island)に香港国際空港が出来ることから、そのための路線という位置づけから始まりました。そのため、東涌駅は国泰航空(Cathay Pacific Airways)で働く人などが多く住んでいます。
  香港駅と東涌を結ぶ31.1キロの路線で1998年6月22日に開業しました。計8駅ですが、それは2003年に12月に西鉄線(West Rail Line)との乗換駅である南昌(Nam Chong)、迪士尼線(Disneyland Resort Line)との乗換駅である欣澳(Sunny Bay)が2005年8月に加えられたからです。1日あたり約24万人が利用しています。駅間が長いので最速で135キロも出る車両が使われています。こちらも人口が伸びているので、延伸して東涌西(Tung Chung West)という駅が作られる可能性があります。
 
  もし、この2つの路線がつながると添馬(Tamar)という駅で乗り換える可能性が高いですが、寶琳から東涌という香港的にはかなり壮大なものと言えそうです。
 

[MTR Part 63]★MTRの各路線の紹介その9(観塘線) 6/9更新

路線図では緑色で示されている観塘線(Kwun Tong Line)は筆者にとって、香港鉄路(MTR)の路線開発力を初めて知った路線でした。この線は1979年に観塘-石硤尾(Shek Kip Mei)で開業して以来、どんどん延伸し尖沙咀(Tsim Sha Tsui)まで延びた事もありました。後に、尖沙咀から油麻地(Yau Ma Tei)は[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)に置き換えられますが、東側が発展して1989年8月6日からは藍田(Lam Tin)、ビクトリアハーバーを越えて[魚則]魚涌(Quarry Bay)まで延伸し、2001年9月27日からは北角(North Point)まで延びました。筆者は2001年10月頃に香港に住み始めたので、事の経緯は知らず北角駅がその後に開通する将軍澳線(Tseung Kwan O Line)への布石とは思ってもいませんでした。2002年8月に将軍澳線が開通し、ビクトリアハーバーを越えるには乗り換える必要がでたので「なんて不便な事をしてくれたんだ」と感じた記憶があります。
 
  これで終わったと思ったら、2016年に油麻地から何文田(Ho Man Tin)と黄埔(Whanpoa)の2つの駅方面に延伸。日本人が多く住む黄埔はバスで行くところだったので不便だという印象がありそれだけにMTRの開通は隔世の感がありました。
 
  現在は調景嶺(Tiu Keng Leng)から黄埔までの18.4キロを結び17の駅が設置されています。事実上、九龍東部をぐるりを網羅するような路線で1日約60万人が利用しています。九龍湾(Kowloon Bay)から観塘と油塘(Yau Tong)、調景嶺は“地上鉄”になっています。
 
  とくに九龍湾はMTRの本社があったり、旧啓徳空港(Kai Tak Airport)で高さ制限がありましたがその制限がなくなったため九龍湾から観塘間線路の西側は新しい高層ビルがどんどんできて、香港島の高い家賃から逃れるべく安い賃料を求めてこちらに事務所を引っ越す企業がたくさんあります。
 

[MTR Part 62]★MTRの各路線の紹介その8([艸/全]湾線 Part 3) 6/2更新

[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)は中環(Central)、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)、旺角(Mong Kok)、[艸/全]湾(Tsuen Wan)という香港を支える商業地域兼ビジネス街を通過するほか、美孚(Mei Foo)は香港屈しの高層マンションが立ち並ぶ住宅地、茘枝角(Lai Chi Kok)、葵興(Kwai Hing)、葵芳(Kwai Fong)は香港屈しの工業地域となっている鉄道の大動脈です。全16駅中8駅(中環、金鐘、尖沙咀、油麻地(Yam Ma Tei)、旺角、太子(Prince Edward)、美孚、茘景(Lai King))が乗換駅にもなっていることでもわかります。
 
  それでも、観塘線(Kwun Tong Line)において1989年に観塘から[魚則]魚涌(Quarry Bay)まで繋がった時九龍東側に住んでいた人が香港島に行く時、[艸/全]湾線を利用すると遠回りになるので利用されなくなり、尖沙咀あたりのショッピングエリアにも影響を与えました。2002年に将軍澳線(Tseung Kwan O Line)ができると、中環まで乗り換えが2度必要となったので、再び尖沙咀に人が戻って来るということも怒っています。
 
  路線沿いにあるモールなどを見ても、香港島沿いはPart 56で説明したので割愛しますが、九龍側は新都會廣場(Metro Plaza)、朗豪坊(Langham Place)、The ONE、iSQUARE、K11藝術購物館などがあり、半島酒店(The Peninsula)といった一流ホテル、文化中心(Cultural Centre)、太空館(Space Museum)といった文化施設など寄るべきところがたくさんあります。
 

[MTR Part 61]★MTRの各路線の紹介その7([艸/全]湾線 Part 2) 5/26更新

[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)は1979年3月に竣工を開始します。1979年12月16日、観塘線(Kwun Tong Line)の一環として、石硤尾(Shek Kip Mei)の先の駅として佐敦(Jordan)、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)が開通し、さらに金鐘(Admiralty)、中環(Central)までの延伸の工事が始まります。これは油麻地(Yau Ma Tei)と旺角(Mong Kok)の梁駅の工事が難航したのでとりあえず線路の付け替えをする形で尖沙咀まで先行開通させた形になりました。6日後の12月22日、油麻地が感染して観塘線は油麻地で止まり、油麻地から尖沙咀までを[艸/全]湾線として部分運行を開始します。そして同年の大晦日に旺角駅も完成して4駅体制となります。
 
  1980年2月12日、最初は観塘線の延伸として敷設された金鐘、中環までの路線ですが最終的には[艸/全]湾線として開通することになり、旺角-中環として運行を始めます。1982年5月10日、茘景(Lai King)から[艸/全]湾までの工事が完成し運行を始めます。1週間後の5月17日、残り太子(Prince Edward)から茘景までの工事が終了し、全線開通となりました。
 
  この時点ではまだ港島線(Island Line)は工事中で、香港島には金鐘と中環しか地下鉄は走っていませんでした。1985年5月に港島線の一部が開通した時、茘湾(Lai Wan)駅は美孚(Mei Foo)に、中環の英語名は「Chater」でしたが今の「Central」に、旺角も英語名は「Argyle」が「Mong Kok」、油麻地の英語名も「Waterloo」から今の「Yau Ma Tei」に駅名が変更されています。
 

[MTR Part 60]★MTRの各路線の紹介その6([艸/全]湾線 Part 1) 5/19更新

島線(Island Line)と並ぶ香港鉄路(MTR)の大動脈なのが[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)です。中環(Central)を起点・終点として、金鐘(Admiralty)、九龍側に渡り、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)、佐敦(Jordan)、油麻地(Yau Ma Tei)、旺角(Mong Kok)、太子(Prince Edward)、深水[土歩](Sham Shui Po)、長沙湾(Cheung Sha Wan)、茘枝角(Lai Chi Kok)、美孚(Mei Foo)、茘景(Lai King)、葵芳(Kwai Fong)、葵興(Kwai Hing)、大窩口(Tai Wo Hau)、[艸/全]湾(Tsuen Wan)という全16駅。香港の流動人口が多いところに沿って作られている路線だからです。
 
  路線延長は16.9キロと港島線の16.3キロとほぼ同じ。8輌編成(1輌あたり最大375人)、最高速度は80キロ、全然複線、線路幅は1432ミリ標準軌です。ここは茘景から[艸/全]湾までは地上に高架線を作って「地上鉄」として営業を行っています。
 
  第1世代の車両は2020年5月で約40年使っていますので老朽化が始まっていますがMTRとしては半世紀は使いたいと考えているので、車輌の切り替えはゆっくりと行っていくのではないかと思います。また、これまでフランスのアルストム社、ドイツのシーメンスの信号システムを使用して今が、2020年からはフランスのタレス社製のを改良して使っています。乗客数ですが、2014年に立法会に提出された資料によると1日平均117万2200人が利用しています。
 

[MTR Part 59]★MTRの各路線の紹介その6(港島線 Part 6) 5/12更新

香港鉄路(MTR)が策定した「鉄路発展策略2014(Railway Development Strategy 2014)」には「北港島線(North Island Line)」という路線があります。これは将軍澳線(Tseung Wan O Line)の北角駅(North Point Station)から西側に延伸させて中環(Central)方面に向かうものです。
 
  具体的には、北角駅の次は銅鑼湾北(Causeway Bay North)-沙田至中環線(Sha Tin to Central Link)の途中駅にもなっている会展(Exhibition)-香港政府庁舎につながる添馬(Tamar)を始発、終点の駅とします。ただ、添馬駅は東涌線(Tung Cheng Line)の始発・終着駅である香港駅(Hong Kong Station)を延伸させて添馬につなげる計画にもなっているので、添馬駅は東涌線と北港島線の乗換駅になります。
 
  MTRの試算によると沙田至中環線などが香港島まで延伸してくると2031年には港島線(Island Line)は1日140万人もの利用客がいるとしています。港島線に大きな負担がかかることは間違いないので、事実上、香港駅 / 中環駅から[魚則]魚涌駅(Quarry Bay Station)までは2つの路線が並行して走らせて、乗客の分散をさせようという狙いがあります。
 
  なお銅鑼湾北駅は、清風街天橋(Tsing Fung Street Flyover)から維園道(Victoria Park Road)…つまり維多利亜公園(Victoria Park)の北側に建設される予定です。
 
  この路線は2021年に着工して2026年に開通させたい考えですが、沙田至中環線の工事が遅れているので、こちらも少しずれ込む公算が高いと思っています。
 

[MTR Part 58]★MTRの各路線の紹介その5(港島線 Part 5) 5/5更新

港島線(Island Line)の起点・終点は柴湾(Chai Wan)ですが、香港鉄路(MTR)が策定した「鉄路発展策略2014(Railway Development Strategy 2014)」によると小西湾(Siu Sai Wan)まで延長させようという話があります。まだ初期段階なので実現するかも分かりませんが、3つのやり方が考えられているようです。
 
  1つ目は柴湾からそのまま延伸するものです。柴湾駅のすぐ南は[石本]甸乍山(Pottinger Peak)という山があるので、そこにトンネルをU字型に掘削して小西湾につなげるという案です。課題としては柴湾駅周辺はすでに多くビルがあるので移動してもらう必要があります。
 
  2つ目は杏花邨駅(Heng Fa Chuen)から支線を伸ばす形で小西湾につなげるというものです。これは将軍澳線(Tseung Wan O Line)が康城(LOHAS Park)までの支線を作ったのと同じ概念です。問題は、短いですが海を埋め立てる必要があることと、路線沿いにビルがあることで立ち退きを要求しなければいけないこと。また、支線なので柴湾駅始発の地下鉄の頻度が下がることになります。
 
  3つ目は、杏花邨駅に接続する路線を作るやり方です。香港ディズニーランドに行く時欣澳站(Sunny Bay Station)で乗り換えて別な列車に乗りますがそのスタイルです。これだと埋め立てを回避して路線を作ることができますが、高架線になる公算が大きく線路の近くに住む住民は景観に影響が出るのと、工事中の騒音問題をどうするのかという問題に直面します。
 
  今後、実際この計画が推進されていくのかどうか、見守っていく必要があると思います。

[MTR Part 57]★MTRの各路線の紹介その4(港島線 Part 4) 4/28更新

港島線(Island Line)のもう1つの重要な駅は、金鐘(Admiralty)です。中環(Central)には機場快速(Airport Express)と東涌線(Tung Chung Line)と繋がっていますが、基本的には大嶼山(Lantau Island)とを結ぶので人口としては多くありません。しかし、金鐘は九龍(Kowloon)の中心地を通る[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)と香港島の南部をつなぐ南港島線(South Island Line)との乗換駅だからです。
 
  特に、東涌線や将軍澳線(Tseung Kwan O Line)も九龍と香港島を結ぶ路線ですが、[艸/全]湾線は別格といっていいほど2つの地域を結ぶ大動脈と言っていいでしょう。通勤ラッシュ時は反対側のプラットホームに行けば、[艸/全]湾線または港島線に簡単に乗り変えることができるわけですが、列車が来るまで数回待つほど列をなす事からもわかります。
 
  さらに将来は沙田至中環線(Sha Tin to Central Link)ともつながるのでより重要な駅になります。
 
  また、金鐘には、今は香港政府庁舎の本部と立法会がある政治の中心で、高等法院(High Court)もあり政治と行政の中心地であります。
 
  ショッピングという意味では太古広場(Pacific Place)と紅棉路(Cotton Tree Drive)というモールがありますが、それ以外は小さな店しかないので、ちょっとさびしいものがあります。ただし、太古広場は3つのビルで形成されていて中環と同様に香港系、外資系、日系の企業がたくさん入っていますし、周辺のビル、例えば力寶中心(Lippo Centre)などの高級オフィスもいっぱいあります。
 
  ヒルサイド・エスカレーターは歩いて半山区(Mid-Levels)をつなぐ手段ですが、ここは金鐘廊(Queensway Plaza)という半山区とを結ぶ幹線道路があります。
 

[MTR Part 56]★MTRの各路線の紹介その3(港島線 Part 3) 4/21更新

港島線(Island Line)で重要な駅とは、乗換駅の事となりますが、中環(Central)と金鐘(Admiralty)になるでしょう。中環駅は接続する香港駅(Hong Kong Station)を通じて機場快速(Airport Express)と東涌線(Tung Chung Line)の利用出来る…つまり大嶼山(Lantau Island)との出入り口だからです。
 
  そして中環ははやり香港の中心地です。これまで紹介してきた「香港上海匯豊銀行(HSBC)」、「怡和洋行(Jardine Matheon)」や李嘉誠が創業した香港最大のコングロマリット「長江和記実業(CK Hutchison Holdings)」といった名だたる企業の本社があります。また、駅周辺には「置地広場(Landmark)」を中心にオフィスビルが多くありそれが連絡通路でつながっています。これらのオフィスには香港系、外資系、日系など多くの企業がここに居を構えています。今か金鐘に移りましたが、香港政府庁舎や立法会もありましたし、今でも最高裁判所にあたる終審法院(Court of Final Appeal)がHSBCの前にあります。
 
  香港最大の歓楽街、蘭桂坊(Lan Kwai Fong)も中環駅からすぐです。そこに加えて蘇豪(SOHO)もあるので美味しいレストランが多数、軒を連ねている状態です。置地広場を中心としたオフィスビルの1階は高級ブランドが名を連ねていますし「国際金融中心商場(IFC Mall)」といった巨大ショッピングモールもあります。刑務所と警察署だった「大館(Tai Kwun)」と警察署員の宿舎だった「元創方(PMQ)」の2つは歴史的建造物を大改修して商業施設に生まれ変わりました。
 
  ヒルサイド・エスカレーターを使いSOHOを超えると高級住宅街の半山区(Mid-Levels)の高級マンション群がずらり。
   歴史的背景もあり、こういう点で西洋系の外国人の比率が高いのが中環駅の特徴だと思います。
 

[MTR Part 55]★MTRの各路線の紹介その1(港島線 Part 2) 4/14更新

1982年3月に着工し1985年5月31日に金鐘と柴湾の間で運行を開始します。ほぼ1年後の1986年5月23日に中環と上環も完成します。最初は車輌数が少なかったため金鐘から太古までという路線もあったそうですが、上環から柴湾までフル運行を始めたのは1986年10月1日からです。その後、2014年に12月28日に堅尼地城まで延伸され、2015年3月29日に完成が間に合わなかった西営盤ができて現在に至ります。
 
  普通、上りと下りは同じ深さに路線が敷かれますが、香港島は狭い土地という事もあり同じ高さではなく2階建ての構造で西行きは東行きの下側にトンネルがほられているのがほとんどです。東行きと西行きが同じ高さにある駅は[魚則]魚涌、太古などあまり多くありません。
 
  杏花邨と柴湾は商業地区ではないので、コスト削減や交通にも大きな影響を与えないので高架線となっています。堅尼地城から[竹/肖]箕湾はトラムとほぼ並行して走っているのでトラム路線の廃止論も一時浮上しましたが乗車料金が一律で安いため存続を求める声が多く、今も健在です。地上をゆっくり走るトラムと車輌としての性格も違いますから残して筆者は正解だと思います。
 
  前回、香港の心臓部を通る路線と書きましたが、日本人が多くすむ太古、広東オペラの劇場がある北角、商業地区の銅鑼湾、乗換駅としての金鐘、政治経済の中心地である中環、香港最高学府の香港大学などを通るので、いつも混んでいる…と言っていいでしょう。
 

[MTR Part 54]★MTRの各路線の紹介その1(港島線 Part 1) 4/7更新

香港鉄路(MTR)は2020年4月1日現在、11路線(2つの支線を含む)と軽鉄道(LRT)、高速鉄道の3形態で運行しています。今回からは路線ごとに紹介していきたいと思います。
 
  港島線(Island Line)は香港島北部を東西に横断する路線です。堅尼地城(Kennedy Town)を起点/終点に、香港大学(HKU)、西営盤(Sai Ying Pun)、上環(Sheung Wan)、中環(Central)、金鐘(Admiralty)、湾仔(Wan Chai)、銅鑼湾(Causeway Bay)、天后(Tin Hau)、炮台山(Fortress Hill)、北角(North Point)、[魚則]魚涌(Quarry Bay)、太古(Tai Koo)、西湾河(Sai Wan Ho)、[竹/肖]箕湾(Shau Kei Wan)、杏花邨(Heng Fa Chuen)、柴湾(Chai Wan)の全17駅です。香港の心臓部を通る最も重要な路線と言っていいでしょう。
 
  路線延長16.3キロで、8輌編成(1輌あたり最大375人)、最高速度は89キロ、全然複線、線路幅は1435ミリ標準軌で、車輌やイギリスのメトロキャメル社(後にアルストム社に吸収される)を最初はつかっていましたが、主電動機は三菱電機を採用した中車青島四方機車車輌が製造したものに切り替わっていく予定です。フランスのアルストム社の信号システムを使用しています。1時間あたり最大で37本の列車を走らせていましたから1分半に1本の割合で運行している計算になります。また、1つ方面に1時間あたり最大8万5000人を運ぶ設計をしています。
 
  ちょっと古い資料になりますがMTRが2014年に香港政府に提出した資料では1日94万7100人が利用しています。その後に上環から堅尼地城まで延伸していますから現在は100万人くらい乗っていると思っていいでしょう。
 

[MTR Part 53]★台風下でのMTRの運行 3/31更新

最近、日本では大型台風がくると鉄道会社は計画運休というのを組むようになりました。混乱や被害を避けるための予防措置です。では香港鉄路(MTR)はどういうふうにしているのでしょうか?
 
  シグナル1と3では通常運行を行います。気象台にあたる天文台(Observatory)は「何時ごろにシグナル8を出します」または「何時ごろにシグナル8を解除します」というメッセージを出します。当然、帰宅または通勤ラッシュが始まりますからMTRはそれを計算して列車の増発をして混雑緩和を行います。屋外を走るセクション、機場快線(Airport Express)、軽鉄道(LRT)、MTRが運営するバスは状況によって運行停止となります。
 
  シグナル9と10の場合、トンネル内を走る列車は本数を減らして運行を継続しますが、屋外セクション、機場快線、LRT、バスは運休となります。
 
  MTRとしてはスムーズに運行再開をするため、200人の修理のための作業員が待機しています。シグナル8がでたらエンジニアが一緒に列車に乗り込み運行中に路線の状況をチェックしています。駅には非常時に備えて、乾パンのような非常食3万食と水を備蓄しています。
 
  香港も日本並みに台風の影響を受けるので、何か起こったときの体制をしっかり整えています。
 

[MTR Part 52]★香港の歴史が分かる鉄道博物館 3/24更新

Part 45の「MTR路線拡大の歴史その3」で少しだけ紹介した大埔(Tai Po)にある香港鉄路博物館(Hong Kong Railway Museum)について紹介しましょう。香港の鉄道会社は地鉄(MTR)と九広鉄路(KCR)の2社です。日本とは違い鉄道会社が乱立した事もなく、しかもこの2社は2007年に合併して香港鉄路(MTR)となったので、MTの歴史が香港の鉄道の歴史そのものです。
 
  1911年11月に大埔墟(Tai Po Market)が完成して市民に利用されます。行けばわかるのですが、駅までなだらかな長い坂がある場所に建てられました。1983年になると南東に数百メートル移動させてあたらしい大埔墟駅が完成します。
 
  この旧駅舎はまず1984年に歴史的建造物に指定され、修復後1985年に博物館として生まれ変わりました。旧駅舎は残っていますし、当時使われていた線路もあり、標識もあります。そして何よりも当時使われていた鉄道車両が展示されている事です。蒸気機関車、ディーゼルエンジンの機関車、乗客がのる車輌などが展示されており、一部の車輌はもちろん乗ることが可能です。当時を鉄道のようす、座席の間隔、車輌内の雰囲気を直に感じることができます。
 
  規模的にはそれほど大きくはないのですが、間違いなく鉄道ファンにはたまらない場所だと思います。
 
  ★香港鉄路博物館(Hong Kong Railway Museum)
  住所:新界大埔大埔墟崇德街13號(13 Shung Tak Street, Tai Po Market, Tai Po, New Territories)
  電話:2653 3455
  入場料:無料
  営業時間:月曜、水~日曜=10:00~18:00(火曜定休)
 

[MTR Part 51]★MTR路線拡大の歴史その9 3/17更新

現時点で工事中なのは沙田至中環線(Shatin to Central Link)」の、紅[石勘](Hong Hom)から金鐘(Admiralty)と屯馬線(Tuen Ma Line)の啓徳(Kai Tak)から紅[石勘]になります。
 
  今後の展開ですが、南港島線東段(South Island Line East)が開通しましたが、南港島線西段(South Island Line West)も本当は予定されています。西段は香港大学(HKU)を起点・終点に瑪麗病院(Queen Mary Hospital)-數碼港(Cyberport)-華富(Wah Fu)-田湾(Tin Wan)-香港仔(Aberdeen)-黄竹坑(Wong Chuk Hang)という7駅を結ぶルートです。ですので、東段とは黄竹坑で重なりますが、山手線のようにぐるっとできるというわけではありません。当初は2021年に着工、2026年に開通させる予定でしたが、着工が延期されいつ開通するのかは未定になっています。理由はこのルートだと利用者数があまり多くなく、黒字化するのが難しいからだと言われています。
 
  ほかにも、屯馬線の屯門(Tuen Mun)から屯門南(Tuen Mun South)の路線が計画されているほか、錦上路(Kam Sheung Road)から古洞(Kwu Tung)を結ぶ北環線(Northern Link)というのもあります。東涌線(Tung Chung Line)は東涌(Tung Chung)から東涌南(Tung Chung South)というのを想定しています。
  最後の最大のプロジェクトとしては東九龍線(East Kowloon Line)というのがあります。これは鑽石山(Diamond Hill)を起点・終点に彩雲(Choi Wan)-順天(Shun Tin)-秀茂坪(Sau Mou Ping)-寶琳(Po Lam)をつなぐというものです。もう1つが将軍澳線(Tseung Kwan O Line)の延伸で北角(North Point)-維園(Victoria Park)-会展(Exhibition Centre)-添馬(Tamer)という路線です。この添馬駅は東涌線(Tung Chung Line)の香港(Hong Kong)駅から東にひと駅延伸させてここにつなげます。
 
  また、新界(New Territories)で走っている軽鉄道(LRT)を九龍湾(Kowloon Bay)を起点・終点に旧啓徳空港の跡地を走って観塘(Kwun Tong)まで走らせようという案もあります。
 
  全て実現するかは分かりませんが、利便性向上という意味においては開発の余地があるという事かと思います。
 

[MTR Part 50]★MTR路線拡大の歴史その8 3/10更新

2012年10月になると沙田至中環線(Shatin to Central Link)」の、紅[石勘](Hong Hom)から金鐘(Admiralty)の工事に着工します。2013年はMTR的には着工も開通もないという近年では珍しい年でした。2014年12月28日、2009年から工事をしていた上環(Sheung Wan)から堅尼地城(Kennedy Town)を結ぶ西港島線(West Island Line)が開通します。ただし、西営盤(Sai Ying Pun)駅は工事は工事が遅れ3カ月遅れの2015年3月から使用できるようになりました。これで香港島北部は西端から東端までほぼ横断する路線ができたことになります。
 
  2015年は再び“イベント”がなかった年ですが2016年10月23日に観塘線(Kwun Tong Line)が開通。日本人が多く住む黄埔(Whampoa)はバスで行く普通でしたが、これでより便利になりました。約2か月後の2016年12月28日、南港島線東段(South Island Line East)も開通します。海洋公園(Ocean Park)駅ができたのは観光と言う意味で大きい出来事だったと思います。起点・終点の海怡半島(South Horizons)は鴨[月利]洲(Ap Lei Chau)にあるのですが、このエリアは1平方キロメートルの人口密度が6万6426人と世界で2番目に高い場所でもあります。こちらもバスでしか行けなかったので、住民にとっては一気に金鐘まで行けるようになりました。しかも、香港島南部の人にとっても大きな開通だったと思います。
 
  そして2018年9月23日、中国本土と結ぶ高速鉄道もついに開通し、2020年2月14日のバレンタインデーに屯馬線(Tuen Ma Line)のうち大圍(Tai Wai)-顯徑(Hin Keng)-鑽石山(Diamond Hill)-啓徳(Kai Tak)を第1期として先行開通させました。
 

[MTR Part 49]★MTR路線拡大の歴史その7 3/3更新

香港鉄路(MTR)の拡張の歴史を書いていますが、まだまだ続きます。2005年10月、南昌(Nam Chong)と尖東(East Tsim Sha Tsui)を結ぶ九龍南線(Kowloon Southern Line)が着工します。2005年12月20日、機場快線(Airport Express)に新しく博覧館(AsiaWorld-Expo Station)駅が完成します。2006年は大きな動きがなく2007年8月15日に落馬洲支線(Lok Ma Chau Spur Line)が完成。深[土川]により行きやすくなりました。
 
  2007年12月2日に地鉄(MTR)と九広鉄路(KCR)が合併して香港鉄路(MTR)が誕生します。
 
  2009年7月26日になると将軍澳線(Tseung Kwan O Line)の将軍澳駅と康城(LOHAS Park)駅を結ぶ支線が完成します。ここに大型マンション群を作った香港最大のデベロッパー、長江實業集団(CK Asset Holdings)が住人のために地下鉄駅を引っ張ってきたようなものですから、その力を見せつけられた事案です。するとMTRは8月10日に上環(Sheung Wan)から堅尼地城(Kennedy Town)間の西港島線(West Island Line)の工事に着手します。6日後には九龍南線が完成して途中には柯士甸(Austin)駅もできます。尖東(East Tsim Sha Tsui)は西鉄線(West Line)の一部に置き換わり、紅[石勘](Hong Hom)駅が西鉄線と東鉄線(East Rail Line)の乗り換え駅となります。
 
  広州と香港を結ぶ高速鉄道の廣深港高速鐵路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)の建設が2010年4月から始まります。そして翌2011年7月8日は南港島線(South Island Line)が、7月25日には観塘線(Kwun Tong Line)の油麻地(Yau Ma Tei)から黄埔(Whampoa)駅までの工事が着工するなど、拡張工事が続いていました。
 

[MTR Part 48]★MTR路線拡大の歴史その6 2/25更新

紫色の路線である将軍澳線(Tseung Kwan O Line)は1999年4月24日に着工しました。2001年の初めには軽鉄(LRT)の天水圍支線第四の工事が始まり、紅[石勘](Hong Hom)から先の尖沙咀支線(Tsim Sha Tsui Spur Line)、さらに馬鞍山線(Ma On Shan Line)も着工します。つまりこの時点で西鉄線(KCR West Rail)、将軍澳線、馬鞍山線という3つの大型路線の工事が同時に進んでいたことになります。
 
  2001年9月27日、観塘線(Kwun Tong Line)の[魚則]魚涌(Quarry Bay)から北角(North Point)まで延伸工事が終了します。2002年8月4日、油塘(Yau Tong)駅が完成し、観塘線の藍田(Lam Tin)からの延伸となり、北角と[魚則]魚涌は観塘線から将軍澳線の駅に変わります。2週間後の8月18日に油塘から寶琳(Po Lam)駅までが完成します。
   2002年後半は落馬洲支線(Lok Ma Chau Spur Line)と迪士尼線(Disneyland Resort Line)の建設が開始され、2003年12月7日は天水圍支線第四が落成します。3日後の12月20日、西鉄線(KCR West Rail)の運行が始まりました。2004年10月24日に九広東鉄(KCR East Rail)の尖東(East Tsim Sha Tsui)駅が完成。鉄道が29年ぶりに尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に帰ってきました。そうこうしているうちに2004年12月21日に馬鞍山線が開通となります。
   2005年6月1日に迪士尼線の欣澳(Sunny Bay)駅が完成し、2005年8月1日に迪士尼線の供用が開始されました。そして、香港ディズニーランド自体は2005年9月12日にオープンしました。
 

[MTR Part 47]★MTR路線拡大の歴史その5 2/18更新

1989年5月9日、太和(Tai Woo)駅が完成します。同じ1989年の8月6日に観塘から[魚則]魚涌までが完成し、観塘線(Kwun Tong Line)は油麻地(Yam Ma Tei)から[魚則]魚涌までの路線となります。2か月後の10月1日には藍田(Lam Tin)駅が完成するほか、1989年11月には軽鉄(LRT)の屯門支線と天水圍(Tin Shui Wai)支線第一と第二が着工します。
 
  1992年2月は屯門支線が開通し、1993年1月になると天水圍支線第一、第二も完成した一方で、2カ月後の1993年3月には天水圍支線第三の建設に着手します。1994年になると啓徳空港(Kai Tak Airport)が大嶼山(Lan Tau Island)に移動することから機場快線(Airport Express)と東涌線(Tung Chung Line)を着工させます。
 
  1995年3月26日、天水圍支線第三が完成してLRTのどんどんネットワークが広がっていきます。1996年2月、3月に九龍車駅(Kowloon)駅の名称を現在の紅[石勘](Hong Hom)に変え、会社名でもあり路線名でもあった九広鉄路(KCR)は、会社名はそのままに、路線名を九広東鉄(KCR East Rail)に名称を変えます。これは南昌(Man Chong)と屯門(Tuen Munを結ぶ西鉄線(KCR West Rail)を作ることが決まっていたからです。
 
  1997年の香港の中国返還を向かえますが、工事はどんどん進み、東涌線が1998年6月22日から運行を開始します。それを追うように2週間後の7月6日に機場快線も開通します。1998年10月26日に上述の西鉄線と観塘線の[魚則]魚涌から北角(North Point)まで延伸工事が同時に始まります。
 

[MTR Part 46]★MTR路線拡大の歴史その4 2/11更新

1983年8月15日には暫定的ではありますが木頭(Muk Tau)…現在の大圍(Tai Wai)駅が完成します。これは当時木の資材置き場があったことから呼ばれる名前です。そして1985年は香港の鉄道にとって事業拡大に向けて一気に動きだします
 
  1:1985年2月15日に火炭(Fo Tan)駅が完成します。
  2:5月31日に香港島北側を横断する港島線(Island Line)の金鐘(Admiralty)から柴湾(Chai Wan)までがついに完成します。
  3:港島線の開通した時、香港鉄路(MTR)ではなく地鉄(MTRの名称は同じ)と呼ばれていましたが、港島線の開通に合わせて、別な駅の名前を改名します。
  3-A:茘湾(Lai Wan)を美孚(Mei Foo)。
  3-B:中環はChaterと呼ばれていましたが、漢字名は変えず英語名だけはCentralに変更しました。
  3-C:同じく旺角はArgyleでしたがこちらも漢字名はのこしてMong Kokに英語名を変えています。
  3-D:さらには、油麻地がWaterloo駅を漢字名そのままに英語名だけYau Ma Teiにしています。
  4:当時の九広鉄路(KCR)は1985年7月に新界(New Territories)に軽鉄(LRT)の建設を始めます。
  5:5月後の12月には観塘(Kwun Tong)から[魚則]魚涌(Quarry Bay)までを結ぶ延伸ルートを着工させます。
 
   1986年4月に木頭が大圍として正式に供用開始となります。1カ月後の5月23日、工事中だった港島線の金鐘から上環(Sheung Wan)までが完成して運行を開始します。1987年1月は新しくなった羅湖(Lo Wu)駅が誕生し、建設中だったLRTは約3年の工事期間を終えて1988年9月18日から運行開始となります。
 

[MTR Part 45]★MTR路線拡大の歴史その3 2/4更新

1979年10月1日、観塘(Kwun Tong)駅から石硤尾(Shek Kip Mei)駅の路線が開通します。2か月後の12月16日、佐敦(Jordan)駅と尖沙咀(Tsim Sha Tsui)駅が完成します。そう、この時はなんと観塘から尖沙咀まで乗り換えなしで行けました。工事が遅れていた油麻地(Yau Ma Tei)駅が6日後の12月22日に完成します。この時、観塘(Kwun Tong)から尖沙咀に行くには現在のように油麻地(Yau Ma Tei)で乗り換えることとなったので、結局、乗り換えなしで行けたのはわずか1週間だけでした…。油麻地よりもさらに工事が遅れていた旺角(Mong Kok)駅がなんと1979年の大晦日に完成します。
 
  翌1980年2月12日、金鐘(Admiralty)と中環(Chater)駅が完成し、ついに香港島にも地下鉄が通ることになりました。その時、香港政庁は、観塘(Kwun Tong)から中環(Central)を結ぶ当初の計画を今の[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)で行くことに方針を変えます。この時点で、[艸/全]湾線は旺角から中環までを結ぶ路線となりました。
 
  1982年3月、ついに香港島北側を横断する港島線(Island Line)が着工します。工事を進めていた[艸/全]湾線の[艸/全]湾(Tsuen Wan)から茘景(Lai King)までが1982年5月10日に先行開通します。1週間後の5月17日に、茘景から太子(Prince Edward)までの残り部分が完成して[艸/全]湾線がフルで開業することになります。
 
  1983年4月7日、大埔墟(Tai Po Market)が移動して新しい駅となり、古い駅はその後、香港鉄路博物館(Hong Kong Railway Museum)として使われます。1983年4月10日は和合石支線(Wo Hop Shek Branch)が廃線となりました。約2週間後の4月26日には馬料水(Ma Niu Shui)駅を大学(University)駅と改名します。そしてさらに6日後5月2日は大埔Kau(Tai Po Kau)がなくしますが、香港鉄路(MTR)はここに職員宿舎を建設しています。このように、MTRは駅を改名したり、路線変更したりと、細かくではありますが常に改善をしている状況でした。
 

[MTR Part 44]★MTR路線拡大の歴史その2 1/28更新

1937年からは日中戦争が始まり、空襲などを受けるのですが当時の職員が頑張って最低限の運行をしていましたが1938年、中国側の路線にダメージを受けたため香港側のみで運行を行います。1941年日本が香港を陥落させる一方、路線の修理を行ったため1943年からは広州までを含めた路線が全て復活します。
 
  1945年8月15日に日本が敗戦すると再び香港政庁が運営を行います。同じ1945年には粉嶺(Fanling)を起点・終点とする和合石支線(Wo Hop Shek Branch)が着工しますが、1949年になると中華人民共和国が設立された影響で香港側のみでの運行となります。1950年に和合石支線が開通し、1956年2月は馬料水(Ma Niu Shui)駅が完成します。これは現在の大学(University)駅の旧名ですが、順調にビジネスが拡大しているのがわかります。
 
  1966年、大埔(Tai Po)駅は大埔 Kau(Tai Po Kau)に名前を変更します。この駅ですが、現在の大埔鉄路碼頭(Tai Po Railway Pier)のそばにあり、当時ここ就航していたフェリーと連動させたりしていました。1969年になると油麻地(Yau Ma Tei)駅は旺角(Mong Kok)駅に改名します。
 
  そして、観塘(Kwun Tong)と中環(Chater)を結ぶ路線が1975年11月に着工となります。つまり、計画当初では、現在で言う観塘線と[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)がミックスされた形の路線の敷設が予定されていたのです。なお当時、中環は「Central」ではなく「Chater」という英語名がつけられていました。また、11月30日には尖沙咀(Tsim Sha Tsui)にあった九龍車(Kowloon)駅が紅[石勘](Hong Hom)に移動します。
 
  1978年になると10月7日に沙田競馬場(Sha Tin Racecourse)の開場にあわせて馬場(Racecourse)駅も同時に誕生します。1973年3月、[艸/全]湾(Tsuen Wan)と太子(Prince Edward)を結ぶ[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)が着工します。つまり、この時点でもまだ香港は東鉄線(East Rail)と和合石支線の2路線でした。
 

[MTR Part 43]★MTR路線拡大の歴史その1 1/21更新

これまで香港港路(MTR)について、軽鉄(LRT)や高速鉄道など鉄道のカテゴリー別に書いてきましたが、時系列にどのようにMTRが路線を拡大してきたのか書いていきたいと思います。
  1906年、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)と羅湖(Lo Wu)間(35.4キロ)=香港側の工事が開始され、翌1907年:中国側(143.2キロ)の工事も開始します。途中、筆架山隧道(Beacon Hill Tunnel)は難関工事で3年も費やし、当時ですから労働環境も悪く50人近くが亡くなっています。1910年10月1日に香港側が完成します。総工費130万ポンドもかかりました。停車駅は、九龍車駅(Kowloon、一部完成)、紅[石勘](Hong Hom、臨時)、沙田(Shatin )、大埔(Tai Po)、大埔墟(Tai Po Market、臨時)、粉嶺(Fanling)、羅湖(臨時)でした。1か月後の11月に大埔墟駅が正式に供用開始となります。
 
  1911年10月になると中国側も完成して尖沙咀(Tsim Sha Tsui)から広州まで結ばれます。同年12月21日には粉嶺から石涌凹(Shek Chung Au)駅までの沙頭角支線(Sha Tau Kok Railway)が開通し、翌1912年9月に沙頭角駅も完成して沙頭角支線が完全開通となります。
 
  1916年には九龍車駅も完工となって香港の鉄道の顔となりました。その一方で1921年になると臨時駅だった紅[石勘]が使用停止し、そこに修理工場などを建設します。1928年4月沙頭角公路(Sha Tau Kok Road)が開通して沙頭角支線の利用客が減少して事実上の廃線となります。これにより、現在で言う東鉄線(East Rail)だけの1路線となりました。
 
  1930年5月になると上水(Sheung Shui)駅が完成しますが、1931年4月には大埔駅で事故が発生して12人が死亡、20人がけがを負う事故もありました。
 

[MTR Part 42]★高速鉄道以外の広州への交通手段である「九廣直通車」その3 1/14更新

紅[石勘](Hong Hom)と広州東(Guangzhou East)を結ぶ「九龍-広州直通車(廣九直通車 / The Kowloon - Guangzhou through train)」と西九龍(West Kowloon)-広州南(Guangzhou South)をつなぐ「高速鉄道廣深港高速鐵路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)」の所要時間をみると前者は約2時間で、後者は48分ですから、時間的には名前の通り高速鉄道の圧勝となります。
 
  ですが、もし広州の繁華街がある北京路の最寄り駅である公園前駅までの所要時間をみると、広州東駅から公園駅前が8駅、17分、4元なので紅[石勘]からだとトータルで2時間17分かかります。広州南駅から公園前駅は13駅、29分、5元なので、西九龍からですとトータルで1時間17分かかります。これは広州南駅の場所が遠いため1時間の差まで縮まってしまいます。
 
  整理しましょう。紅[石勘]-公園駅前ですと所要時間は2時間17分で料金は一番安い1等車で210香港ドル+4元、西九龍-公園駅前ですと所要時間は1時間17分で、料金は一番安い2等車で239香港ドル+5元。価格差は29香港ドルと1元で、1時間差…この差をどう考えるのかは読者の方次第です。
 
  間違いなく言えることは、この状況を好む好まざるに関わらず、香港と中国本土の行き来が楽になったこと、経済的な交流が増えたこと、または経済の一体化が進んだことだと思います。
 

[MTR Part 41]★高速鉄道以外の広州への交通手段である「九廣直通車」その2 1/7更新

紅[石勘](Hong Hom)と広州東(Guangzhou East)を結ぶ「九龍-広州直通車(廣九直通車 / The Kowloon - Guangzhou through train)」ですが、前回1日9往復と書きましたが、その他に紅[石勘]と北京西駅と紅[石勘]と上海駅を繋ぐ列車が1日1本出ています。
 
  時間ですが、紅[石勘]を15時15分に出発すると約24時間後の翌日の15時30分に北京西に到着します。上海は、紅[石勘]を同じく15時15分に出発すると(つまり、北京西行きと上海行きの列車は繋がっていて、途中で分かれる)。
 
  料金ですが、北京西行きが座席の種類によって変わりますが、574~1191香港ドル、上海が508~1039香港ドルとなっています。そして、広州東行きは210香港ドルに設定されています。
 
  車輌ですが、中国製の車輌だけではなく近鉄の車輌なども使われています。「Ktt」と呼ばれる列車は、車輌もきれいで所要時間も短いので人気で、1日3本がその車輌を使用しています。時刻表にも「九龍通(Ktt)」と書かれていて、乗客はこの時間にKttが運行するのが分かるようになっています。では、中国製の車輌はどうかと言うと、座席が古くなるのですが、ただ、日本ではほぼ絶滅危惧種の「食堂車」が設置されています。車内販売で満足できない人はこちらに行きます。それでも所用2時間という短い時間なので、調理に時間の掛からないものばかりですが、味は普通です。
 

[MTR Part 40]★高速鉄道以外の広州への交通手段である「九廣直通車」その1 12/31更

香港と広州を結ぶのは高速鉄道についてはPart 3~Part 6までで紹介しましたが、もう1つ手段があります。紅[石勘](Hong Hom)と広州東(Guangzhou East)を結ぶ「九龍-広州直通車(廣九直通車 / The Kowloon - Guangzhou through train)」です。高速鉄道ができる前はこの列車が中心でした。九広鉄路(KCR / Kowloon Canton Railway)という名前だけでもその意味が分かると思います。
 
  軽くおさらいをすると、KCRは元々香港と広州を繋ぐ鉄道として1911年に開設されます。1941年に日本が香港を占領して路線が中断します。日本が敗戦でいなくなり再びイギリスが統治を始めた1945年8月から早速運行を再開します。ところが中華人民共和国が成立した1949年から30年間は、列車での直接の乗り入れが完全に止まりました。その間は、当然、香港内だけを走らなければならなくなり、現在の東鉄線(East Rail)のような形で経営をすることになります。
 
  潮目が変わったのが改革開放路線です。これで中国側が香港政庁に1979年1月に人を派遣して話し合いが始まり、運行が再開されることが決定。
 
  当時の総督でクロフォード・マレー・マクレホースが最初の列車に乗ることを希望し、最終的に4月4日に広州発の列車で再開することが決まりました。当日は開通式が広州駅で行われ、朝8時半に復活の列車が出発。紅[石勘]までの約170キロの行程を3時間掛けて進みました。
 
  1979年の再開時には1日1往復でしたが、翌1980年からは1日2往復、1984年からは3往復、1986年からは4往復とどんどん本数が増え、現在は9往復です。また、新型車両の導入、電気化など改良を重ね、時間が短縮され、だいたい所要時間は2時間で結ばれています。
 

[MTR Part 39]★KCRの歴史と合併その8(MTRとの合併でKCRの名前がなくなる)12/24更新

1983年に民営化された九広鉄路(KCR / Kowloon Canton Railway)ですが、事業拡大ということでPart 22で書いたように軽鉄(LRT)の運営を始めます。さらに1998年10月には屯田(Tuen Mun)と南昌(Nam Cheong)を結ぶ九廣西鉄(KCR West Rail。現在の西鉄線〈West Rail Line〉)の着工を開始します。2002年には香港政府は紅[石勘](Hong Hom)と南昌を結ぶ九龍南線(Kowloon Southern Link)を建設、経営する権利を与えます。
 
  西鉄は2003年に開通し、2004年10月に尖東(East Tsim Sha Tsui)駅ができ紅[石勘]から延伸する形になります。
 
  同年12月には馬鞍山鉄路(Ma On Shan Rail)…現在の馬鞍山線(Ma On Shan Line)が開通します。1年経たない2005年11月に今度は南線が開通して屯田と紅[石勘]がつながり現在の西鉄線になります。2007年8月になると落馬洲支線(Lok Ma Chau Spur Line)も完成し、筆者も香港市民もどんどん路線が増えていくなあ…と感じていたと思います。
 
  しかし、KCRは落馬洲支線が開通した4か月後の2007年12月に名前が消えます。それは地下鉄を運営していた地鐵有限公司(MTR Corporation Limited)と合併することが決まったからです。簡単に言えば合併すれば経営の効率化が図られることでコスト削減が実現するほか、料金体系も統一されて乗客の交通費の負担も減るということが狙いでした。
 

[MTR Part 38]★KCRの歴史と合併その7(紅[石勘]駅後から民営化へ)12/17更新

始発・終着駅を紅[石勘](Hong Hom)に移した九広鉄路(KCR / Kowloon Canton Railway)ですが、香港の発展と一緒に順調に発展していきます。電気化や複線化などをすすめるほか1978年には沙田競馬場の完成により馬場(Racecourse)駅が完成したりしました。1983年4月10日には新しい大埔墟站(Tai Po Market)駅が完成し、これまでの駅は香港鐵路博物館(Hong Kong Railway Museum)として同年12月から使われるようになりました。その一方で、3日後の4月10日には、Part 36で書いた和合石支線(Wo Hop Shek Branch)が実質廃線になり、さらに約2週間後の4月26日には中文大学へのアクセスとなる大学(University)駅ができるなど、この頃は、めまぐるしく変化していきます。さらには1987年1月15日に新しい羅湖(Lo Wu)駅ができ、1989年5月9日,太和(Tai Wo)駅が完成します。
 
  組織的にはKCRというのは香港政府の1910年から九廣鐵路局(Kowloon-Canton Railway Department/KCR Department)という香港政庁の鉄道部門でしたが、民営化する法律が制定され、1983年2月1日に政府から独立して九広鉄路という民間会社になります。民間会社とはいえ香港政府が全額出資し、香港政庁による監察を受けていましたが、官僚的な考えの職員が民営化後は多く、なかなか経営の効率化させるのは大変だったようです。
 

[MTR Part 37]★KCRの歴史と合併その6(新しい香港の玄関口、紅[石勘]駅) 12/10更新

1975年11月に九龍車駅(Kowloon Station)から紅[石勘](Hong Hom)に移って来た時は駅の移動に過ぎませんから、駅名はそのままでした。しかし、エアポートエクスプレスに九龍駅(Kowloon)が出来上がった際、紛らわしいからということで紅[石勘](Hong Hom)駅に名前が変わりました。
 
  新しいターミナル駅ができるとその周辺が栄えます。1975年11月に九龍車駅(Kowloon Station)から紅[石勘](Hong Hom)駅は、その典型です。日本の武道館のような存在である香港体育館(Hong Kong Coliseum)は紅[石勘]駅の完成を見据えていたのか1983年に完成。ドッグだった黄埔(Whanpoa)地区を住宅地に改修して黄埔花園(Whampoa Garden)というマンション群ができ、中国本土とのビジネスに関係が深い日本人駐在員が多く住む事で知られるようになった。するとジャスコ(現イオン)が進出するなど街に好循環が生まれた。
 
  駅自体はいわゆる普通の鉄道駅でこれといった特徴はありません。壁がガラス張りなので明るい印象はあります。広州との直行列車があることもあり駅構内に空港と同じようにパスポートが必要な税関エリアが作れました。その後、上海、北京との直通列車も動くようになり、中国本土からの新しい玄関口として発展しました。
 
  その後、地下鉄が開業し西鉄線(West Rail)が乗りいれるようになったほか、現在建設中の「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」も同駅を通ることになっています。
 

[MTR Part 36]★KCRの歴史と合併その5(1930年代、戦後)12/3更新

1930年代に入ると、国民党と共産党が内戦を始めてしまい、直通列車の運行は中止されます。今の黄埔(Whanpoa)は住宅街ですが当時は造船や修理を行うドックがあり鉄道は黄埔までぐるっと回っている路線でした。1937年になると日中戦争に突入して空襲を受けたりしますが、すぐに職員が修理を行い、最低限の運行をしていましたが1938年に路線の途中にあった橋が破壊されたため直通列車がなくなりました。1941年に太平洋戦争が始まり日本軍が侵攻してきたためイギリス軍が自ら路線を破壊して日本軍に利用させまいとします。しかし、日本軍は修理を行い1943年から香港-広州間の列車を再開します。
 
  戦後はイギリスが鉄道の復旧にも力を入れ蒸気機関車も12輌購入します。しかし、1949年になると中華人民共和国が誕生したため政治的な要因から羅湖(Lo Wu)が最終駅となりました。その後は、需要に応じ、1950年には粉嶺(Fanling)と和合石墳場(Wo Hop Shek Cemetery)とを結ぶ和合石支線(Wo Hop Shek Branch)ができます。ただ、競争にさらされ1968年には廃線となりました。
 
  1956年には馬料水駅ができますが1967年に香港中文大学があるので大学駅と改名しているほか、駅という意味では、これまでにも書いたように1975年に始発・終着駅が九龍車駅(Kowloon Station)から紅[石勘](Hong Hom)へと東に移動します。乗客の利便性という意味では明らかに後退ですが、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)がさらに発展する要因になりました。
 

[MTR Part 35]★KCRの歴史と合併その4(停車駅と九龍車駅 Part 3)11/26更新

鉄道の起点・終着駅が紅[石勘](Hung Hom)に駅が移り、九龍車駅(Kowloon Station)は解体される運命にあるわけですが、新しいものを作り、古いものに価値を置いてこなかった香港において、九龍に住む市民が珍しく保存運動をおこします。古跡学会のメンバーなどが香港政庁に保存を求めましたが、政府は拒否。学会はあきらめずに1万5000人の署名を集めて直接エリザベス女王に請願しました。結果は、王室は解体を決定したことで保存への道が閉ざされました。
 
  それでも最終的には時計塔である鐘楼(Hong Kong Clock Tower)が保存され、尖沙咀東(East Tsim Sha Tsui)の「市政局百週年紀念花園(The Urban Council Centenary Garden)」には、駅に使われていたギリシャスタイルの石柱6本が移設され、そこには人工池が作られています。
 
  鐘楼は1915年に完成し1916年3月から時間を刻み始めました。1921年になると4方向に時計がつくようになります。高さは44メートルで7メートルの避雷針がつき、赤レンガと御影石で作られています。今では、香港電影金像奨(Hong Kong Movie Awards)のレッドカーペットはここを利用して使われ、中秋の名月の時期には鐘楼の周辺に大きなランタンが飾られます。ほかにも、「香港パルス3Dライト・ショー」ではプロジェクション・マッピングの場所として使われるなど、まさに香港を象徴する建築物になっています。
 

[MTR Part 34]★KCRの歴史と合併その3(停車駅と九龍車駅 Part 2)11/19更新

完成した九龍車駅(Kowloon Station)は1914年に完成しましたが、その姿は、大きな円い柱をたくさん使った荘厳なものでした。この駅はヨーロッパ、中国という大陸側からの香港への出入り口となりました。鉄道の始発・終着駅は基本的にどこでも発達しますから、九龍車駅周辺は発達していきます。また、貨物駅でもあったため時代が進むたびに忙しくなっていたと思われます。
 
  もちろん、当時は地下鉄などないので香港島との間ではフェリーを使って渡ることになるので、スターフェリーは大勢の人が利用しました。また、今でもそうですが海港城(Harbour City)にフェリーターミナルがあるように、当時も大型客船が尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に寄港しており、大勢の観光客が尖沙咀に立ち寄ることになります。そこに目をつけたのが、香港を代表するホテル、ザ・ペニンシュラの創業したカドゥーリ―一家です。エリス・カドゥーリ―が1928年に完成させるのですが、今の古い建築部分=7階建てのコの字型をした部分で、当時の香港では最も高いビルでした。
 
  しかし、時代は流れ1972年に九龍と香港島を結ぶ海底トンネル「海底隧道(Cross-Harbour Tunnel)」が完成したほか、紅[石勘](Hung Hom)が大きく埋め立てられそちらに駅を移設することになりました。1975年11月に九龍車駅は役目を終え、紅[石勘]駅が香港の鉄道の顔なりました。
 
  九龍車駅の跡地は、開発に伴い埋め立ても併せて行われ、現在は、大空館(Space Museum)、文化中心(Cultural Centre)、藝術館(Hong Kong Museum of Art)、インターコンチネンタルホテル、星光大道(Avenue of Stars)、K11 Museaなど大活用されていますが、九龍車駅、弥敦道(Nathan Road)、ペニンシュラがなければ、今のような尖沙咀の発展は間違いなくなかったと思います。
 

[MTR Part 33]★KCRの歴史と合併その2(停車駅と九龍車駅 Part 1)11/12更新

香港と広州を結ぶ九広鉄路(KCR / Kowloon Canton Railway)の建設は 1906年に香港側の全長35.4キロが着工します。翌1907年に清朝側143.2キロの工事も始まります。当時の工事環境はひどかったようで、いくら技術的に楽な方を選んだとはいえ50人ほどがトンネル工事などで亡くなっています。
 
  難工事を終え1910年に香港側=イギリス側の路線が開通します。ただ、建設コストは最初は約500万ドルと見積もっていましたが約1230万ドルと倍以上に膨れ上がっていました。
 
  香港側の停車駅は、九龍車駅(Kowloon Station)、紅[石勘](Hung Hom)(臨時) 、油麻地(Yau Ma Tei)、沙田(Shatin)、大埔(Taipo。後に大埔滘(Tai Po Kau)に変更)、大埔墟旗(Tai Po Market)(臨時)、粉嶺(Fanling)、羅湖(臨時)でした。
 
  九龍車駅は、現在の尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の文化中心(Caltural Centre)、太空館(Space Museum)などのあたりに駅舎やプラットホームありましたが、開通時はまだ完成しておらず(最終手的に1914年に完成)今の龍総駅は現在の梳士巴利道(Salisbury Road)、星光大道(Avenue of Stars)のあたりに臨時の駅を設置して対応していました。
 
  九龍車駅は尖沙咀火車站とも言われ1914年3月に完成します。L字型で2階建ての建物でした。駅の隣には現在もある鐘楼(Clock Tower)が建っていました。そして、天星小輪(Star Ferry)ターミナル前にあるバスターミナルの所を向いて正面入り口が作られており、そこにタクシーや車などが乗り入れていました。
 
  当時は、今のHeritage 1881が西端で、海港城(Harbour City)がある広東道(Canton Road)のエリアはまだ埋め立てておらず海でした。シェラトンホテルもなく、シェラトンの東近くは今もある訊號山(Signal Hill)のそばを線路が通っていました。
 

[MTR Part 32]★KCRの歴史と合併その1(プロジェクトの開始)11/5更新

現在、香港の鉄道を担うのは香港港路(MTR)ですが、合併して現在のようになっています。2007年12月の合併前は九広鉄路(KCR / Kowloon Canton Railway)という九龍と広州を結ぶ路線を運営している鉄道会社がありました。
 
  アヘン戦争で香港を獲得したイギリスですが、清との貿易が依然として盛んで、物流網の整備が必要でした。そうなると大量輸送ができるのは鉄道となります。1864年、British Railways(当時のイギリス国鉄)のエンジニアであったRowland MacDonald Stephensonが鉄道を敷してはどうかというアイディアを出したのが始まりです。当初は、ボーダーのすぐ外にあった深水[土歩](Sham Shui Po)に駅を設けるという案もありました。
 
  1898年に両政府は本格的に協議を開始します。その結果、建設工事について、清側は清朝で、香港側はイギリスで工事を負担する事になり、経営権はイギリスが所有する形で合意します。1904年香港政庁と「中英銀公司(British & Chinese Corporation)」(あの怡和洋行(Jardine Matheson)とHSBCの合弁企業)は契約を結びます。1905年になると測量が開始され、本格的にプロジェクトは動きだします。
 
  香港側は当初2ルートが想定され、1つは現在の沙田(Shatin)などを通るという現在の東鉄線(East Rail Line)とほぼ同じで、もう1つは[艸/全]湾(Tsuen Wan)、屯門(Tuen Mun)、元朗(Yuen Long)を通過して清につなげるというもので

[MTR Part 31]★沙田と中環を結ぶ新路線その6(工事の問題が続出Part 2)10/29更新

工事の遅れが問題になっていた「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」ですが、中文紙『蘋果日報(Apple Daily)』が」2018年5月に紅[石勘](Hung Hom)駅に作られているプラットホームの鉄筋が規定通りになっていないことが発覚。香港港路(MTR)は手抜き工事を発見したにも関わらず立法会に報告していないことが分かりました。さらに、建設計画を勝手に変更するという悪質なことまでします。
 
  その約3か月後、蘋果日報は追い打ちをかけるように土瓜湾(To Kwa Wan)駅周辺の23カ所で地盤沈下が進み、一部では規定の2倍以上の沈み込みが発覚していることを掲載。都市ガスの配管にも影響が出ていると報道します。その結果、MTRは現存の駅周辺や鉄道関連施設での地盤沈下の調査も実施。
 
  西鉄線(West Rail Line):15カ所、港島線(Island Line):9カ所、[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line):4カ所…などかなりの数で地盤沈下が進んでいるのが判明しました。それが必ずしも危険という意味ではないですが、心理的によくないものがあります。
 
  その結果、MTRは梁国権最高経営責任者(CEO)が任期満了を待たずに退任=辞任したほか、工事を統括していた黄唯銘工程総監も退職に追い込まれます。
 
  それで幕引きかと思いきや、2019年には行っても紅[石勘]駅と接続するトンネル部分の工事で4割の施行記録がないことも発覚。もう泥沼と言っていいほどの状況に陥っています。
 
  結局、MTRは2019年1月~6月期に24億3000万ドルの損失引当金を計上することになってしまいました。
 

[MTR Part 30]★沙田と中環を結ぶ新路線その5(工事の問題が続出Part 1)10/22更新

小生が香港に住み始めた時、香港鉄路(MTR)は港島線(Island Line)、[艸/全]湾線(Tsuen Wan Line)、観塘線(Kwnn Tong Line)、東涌線(Tung Chung Line)と機場快速(Airport Express)の5路線しかありませんでした。それが2019年10月現在は、将軍澳(Tseung Kwan O Line)など支線をすべて含めると13路線もあります。九広鉄路(KCR)との合併があったとはいえ、この20年弱で一気に鉄道網広がったことは間違いありません。
 
  急激な拡大路線のひずみが出ているのか、「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」の工事は、施工に大きな問題がでており、最初は2018年年開通という当初の予定よりも開業が遅れ、大圍(Tai Wai)から啓德(Kai Tak)を2020年第1四半期に先に開通させる方針を出しました。残りの啓德から紅[石勘](Hung Hom)が2020年末から2021年初ごろまでずれ込む予定です。また、紅[石勘]から金鐘(Admiralty)については、改めて再設定するとしています。
 
  MTRの工事は当初の予定通りに行かないことが多く、建設コストの上昇で予算オーバーも特別なことではないのですが(それが普通なのは情けないですが…)、沙田至中環線の工事についてはいろいろなアクシデントが続出し、遅延につながってしまいました。
 
  まずは、工事中の事故が発生し作業員が最低3人が死亡しています。宋皇臺(Sung Wong Toi)駅を建設している時は、宋、元、清朝などの貨幣、壷などが保存状態よく発掘されます。そのため。2012年11月至2013年12月にかけて発掘調査が行われます。2018年1月には第2次世界大戦の時に運び込まれたアメリカ線の不発弾が発見されます。
  不可抗効力もあったとはいえ工事が遅れる要因がこれだけ発生しましたが、これだけでは収まりませんでした…。
 

[MTR Part 30]★沙田と中環を結ぶ新路線その4 (屯馬線とは) 10/15更新

「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」はPart 27で書いてきたように、大圍(Tai Wai)から紅[石勘](Hung Hom)までの11 キロと紅[石勘]から金鐘(Admiralty)までの6キロに分かれています。しかも、両方が開通しても1本の路線にならないので、非常にややこし状況でした。大圍‐紅[石勘]が開通した後、屯田を紅[石勘]を結ぶ西鉄線(West Rail Line)をつなげることになっていることから、香港政府は路線名を「屯馬線(Tuen Ma Line)」とすることを決めました。
 
  西鉄線は、途中に洪水橋(Hung Shui Kiu)駅という新駅の建設も計画があるほか、屯門から屯門南(Tuen Mun South)まで延伸する構想もあります。仮にすべてが完成すると、総延長57キロ、29駅、所要時間1時間強という、九龍(Kowloon)と新界(New Territories)を走る路線となります。香港を東西と南北の両方を縦横無尽に走る路線です。
 
  香港は小さい都市ではありますが、それでも香港の端から端まで行くのは最短コースを通っても時間がかかりますから、馬鞍山(Ma On Shan)の住民が屯門(Tuen Mun)に気軽に行けるという感じではありません。そして香港で車を所有するのは日本以上にコストがかかりますので、気軽に購入するというものでもありません。屯馬線は最短コースを通りませんが、それでも鉄道ということで、地域と地域と垣根を除いてくれることは間違いないと思います。
 

[MTR Part 29]★沙田と中環を結ぶ新路線その3 (建設に携わる日系企業)10/8更新

前回、香港港路(MTR)「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」で伊藤忠-近畿-川崎共同体(JV)が車輌の提供と既存の車輌を改造するという入札を11億8107万7173ドルで落札していると書きましたが、他の日系企業も工事に携わっています。具体的にいいますと
 
  1:「顯徑站及大圍至顯徑高架軌道及地面軌道工程(Hin Keng Station and Approach Structures)」=五洋建設=10億3900万ドル
  2:「國際郵件中心重置工程(New International Mail Centre)」=五洋建設=7億326万9192ドル
  3:「過海鐵路隧道建造工程(Cross Harbour Tunnels)」=五洋建設-中国建築国際共同体=43億5000万ドル
  4:「沙中綫第一期隧道環境控制系統(Tunnel ECS for SCL Phase 1)」=新菱冷熱工業=1億8899万2283ドル
  5:「沙中綫第二期隧道環境控制系統(Tunnel ECS for SCL Phase 1)」=新菱冷熱工業=1億7993万9997ドル
  6:「紅磡站及紅磡列車停放處樓宇設備工程(Building Services for Hung Hom Station and Hung Hom Stabling Sidings)」=新菱冷熱工業=6億3148万0466ドル
 
  このように車輌の納入分も加えると7つもの工事を落札しました。Part 26でMTRが国際展開をしていると書きましたが、日系企業がMTRに提供した技術があったからこそ実現した部分があります。今後、MTRがどう拡張していくのかわかりませんが、もし新路線が敷設されることになれば日系の建設会社は参入どころか落札するチャンスは非常に大きいと思います。
 

[MTR Part 28]★沙田と中環を結ぶ新路線その2 (先に部分開通する大圍駅-啓徳駅間) 10/1更新

香港港路(MTR)は開業以来、「沙田至中環線(Shatin to Central Link)」に関連して、大圍(Tai Wai)-顯徑(Hin Keng)-鑽石山(Diamond Hill)-啟德(Kai Tak)-宋皇臺(Sung Wong Toi)-土瓜湾(To Kwa Wan)-何文田(Ho Man Tin)-紅[石勘](Hung Hom)までの11 キロを建設します。紅[石勘]駅で西鉄線(West Rail Line)とつなげて屯馬線(Tuen Ma Line)としますが、最初は大圍以後の顯徑-鑽石山-啟德の3駅を2020年の第1四半期に開通させる予定です。そして、啓徳駅で折り返すと言う形をとります。
 
  これまで大圍から鑽石山に行くには東鉄線(East Rail Line)の九龍塘(Kowloon Tong)で乗り換えて観塘線(Kwun Tong Line)に乗る必要があり、17分ほどかかっていましたが、開通後7分と大幅に短縮されます。鑽石山駅前後は特に地上を走り、啓徳駅直前からは地下に潜ります。また、他の部分はトンネルがほとんどです。
  列車の頻度は最大で3.5分に1本で8両編成になる予定です。ドアの幅とほぼ同じの長さのディスプレーなどを搭載し、乗客に適切な情報を流します。車輌と車輌をつなぐ出入口の上部にもディスプレーがつきます。
 
  車輌の提供は入札が行われ、長春軌道客車が11億3995万5435ドル、Hyundai Rotemが40億7753万5440ドルがそれぞれ落札しています。また、伊藤忠-近畿-川崎共同体(JV)が車輌の提供と既存の車輌を改造するという入札を11億8107万7173ドルで落札しています。
 

[MTR Part 27]★沙田と中環を結ぶ新路線その1 9/24更新

香港港路(MTR)は開業以来、路線をどんどん拡張して来ましたが、最後の仕上げとも言える路線が沙田(Shatin)と中環を結ぶ路線です。現時点では「沙田至中環線(Shatin to Central Link)と、そのままの名前がつけられています。
 
  この計画は香港政府が「鐵路發展策略2000(Railway Development Strategy 2000)」という計画で策定したもので、2008年に行政会議で批准されました。そして立法会でもOKがでて2012年に着工しました。
 
  総延長は17キロで大圍(Tai Wai)から紅[石勘](Hung Hom)までの11 キロと紅[石勘]から金鐘(Admiralty)までの6キロに分かれます。停車駅は前者が大圍、顯徑(Hin Keng)、鑽石山(Diamond Hill)、啓德(Kai Tak)、宋皇臺(Sung Wong Toi)、土瓜湾(To Kwa Wan)、何文田(Ho Man Tin)、紅[石勘]。後者は紅[石勘]、會展(Exhibition Centre)金鐘となります。2つに分ける理由は、1つの流れの工事としていますが、前者は大圍以降は馬鞍山線(Ma On Shan Line)の延長部分という形となり紅[石勘]で西鉄線(West Rail Line)とつなげる計画で、屯馬線(Tuen Ma Line)という名称になることになっています。つまり、烏溪沙(Wu Kai Sha)から屯門(Tuen Mun)まで1本の路線になるということです。
 
  一方、後者は東鉄線(East Rail Line)の紅[石勘]から先の路線の延長という形になります。上水(Sheung Shui)/ 落馬洲(Lok Ma Chau)から金鐘までも1本で行けるようになりますから、簡単に言えば深[土川]の羅湖(Lo Wu)までも乗り換えなしで行けることになるので劇的に交通網が整備されるので、便利になることは間違いありません。また、現在、大圍と九龍塘(Kowloon Tong)の乗車率が非常に高いのですが、この路線ができると2つに分散出来るようになるため混雑の緩和も期待されています。
  主な所要時間ですが、烏溪沙から金鐘で36分、紅[石勘]から金鐘は5分、羅湖から金鐘は50分、大圍から鑽石山が6分となります。
 

[MTR Part 26]★国際展開をするMTR 9/17更新

日本最初の鉄道は1872年(明治5年)に東京の新橋-横浜(現桜木町)間です。それから高速鉄道の新幹線、今はリニアモーターカーの建設と世界の最先端を走っています。それだけのノウハウ、技術を持つのにも関わらず車輌輸出や鉄道システムの輸出はありますが、例えばJR自体が海外に進出するということはありません。
 
  ところが1979年に開業した香港港路(MTR)は、深[土川]、北京、杭州、ロンドン、ストックホルム、メルボルン、シドニー、今度開通するマカオの軽鉄道と8都市でオペレーションをしています。運営全部を担うところもあれば、路線の1部を担当するなど無理のないやり方で行っています。
 
  例えば、北京は四号綫、大興綫、14号綫と16号綫の4つの地下鉄路線、杭州は1号綫と5号綫、ロンドンはElizabeth LineとSouth Western Railwayという鉄道を担当しています。ストックホルムは2009年から運営権を獲得しているほか、2015年には郊外列車の運営について、契約期間10年、約4500億円で受注しています。メルボルンの運営も担っています。
 
  MTRが参入したことで定時運航率がロンドン、メルボルンとも80%台だったのが90%を超えるようになるなど高い評価を得ているようです。今度書きますが、MTRの技術の土壌は日本の鉄道技術がなければ成り立たなかったとも言えるので、それだけに日本の鉄道会社はもっと広いビジョンを持って経営をした方が良いのではないかと痛切に思います。
 

[MTR Part 25]★新界を駆け巡るLRTその5(利用者数や将来の計画) 9/10更新

軽鉄(LRT)利用者数は路線の拡大とエリアの人口が年々増えていったためどんどん乗客数は増えていきました。1989年は年間で6259万6000人、1日あたり17万1496人でしたが、10年後の1999年になると同1億1471万2000人、同31万4279人にまで増えます。さらに10年後の2009年は同1億4348万9000人で、同39万3121人となります。最新の2018年は1億7941万1000人、同49万1536人です。2019年は1日あたりの乗客数は50万人が完全に視野に入ったと言っていいでしょう。
 
  どんどん拡張してきたLRTですが、今後の計画はどうなっているのでしょうか? 2016年に香港政府は洪水橋新發展區(Hung Shui Kiu New Development Area)という都市開発計画の修正版を出します。その中で洪水橋(Hung Shui Kiu)駅から新界(New Territories)の北西にある流浮山(Lau Fau Shan)まで支線を伸ばすという案が出されました。流浮山から深[土川]湾(Shanzhen Bay)を挟んだ向こう側は深[土川]の蛇口エリアという中国が目と鼻の先という場所です。
 
  ただし、環境保護、収益、資本の関係から実際に建設されるかどうかは未定と言っていいでしょう。しかも、元朗(Yuen Long)などを含めたこれらのエリアは昔から地主との交渉などがあり、利権関係が非常に複雑ですので、スムーズに行くのかすらもわからないので、もう少し様子を見る必要があると思います。
 

[MTR Part 24]★新界を駆け巡るLRTその4(料金体系) 9/3更新

軽鉄(LRT)の料金体系はどのようになっているのでしょうか? ロンドンの地下鉄のようにゾーン制を採用しています。ここから個々のエリアはゾーン1、ここからはゾーン2というように地域ごとに区分けをして、ゾーンを超えるごとに料金が加算されていくというシステムです。LRTの場合はゾーン1、2、3、4、5、5Aの6地区制です。例えば、ゾーン1から2を1ドル、1から3は2ドル、1から5Aは5ドルと言うように増えていきます。ゾーン3から1は2ドル、3から5Aは3ドルというふうになりますので、そう言う意味では路線全体の中心に住んでいると移動距離が少なくまたぐゾーンが減るので安くなると言うことになります。
 
  LRTの場合、小さな区間に68もの駅があるので、距離ごとに細かな料金設定を行うこと約4500通りもの数になるのでとても大変です。ゾーン制を採用したことは理にかなっていると思います。
 
  車輌についてはPart 1で「車輌は長さ20.2メートル、幅2.65メートルで3枚のドアがついています。1日19時間、140輌の電車で運行されていますが、路線によっては1両編成、最大で2両編成となっている」と書きました。もう少し詳しく見ると、開業当初はオーストラリア鉄道車両メーカー「Comeng」(現在は消滅)というところが受注しました。2002年には川崎重工が受注競争を勝ち抜き車輌を納入しています。車輌番号は1071から1090番ですのでLRTに乗る時、番号を確認してみると面白いかもしれませんが2019年に現役を退く予定となっているのは残念ニュースです。また、その後はオーストラリアのGoninmaといった車輌も導入されています。しかも、車輌のアップグレードもして長く利用しようというのが伺えます。
  ちなみに車内アナウンスをしているのはMTRと同じ陳如茵さんです。
 

[MTR Part 23]★新界を駆け巡るLRTその3(天水圍の開発) 8/20更新

軽鉄(LRT)が走る元朗(Yuen Long)、屯門(Tuen Mun)周辺はどんどん人口が増えていくので、LRTの路線も拡張していくことが求められてきました。そこで、屯門南東部にある友愛(Yau Oi)、三聖(Sam Shing)、市中心(Town Centre)の3つを基準として路線を増やしたほか、市中心と兆康(Siu Hong)を結ぶ路線も開設し、1992年2月に全戦が開通します。これらを細かく駅同士でつなげることで路線網が充実しました。
 
  発達は止まりません。今度は香港最大のデベロッパー、長江実業(Cheung Kong (Holdings))が天水圍(Tin Shui Wai)に大型の住宅街を造成して、この地へのアクセスの良さが求められるようになります。そこで、屯門と元朗を結ぶ路線の途中に坑尾村(Hang Mei Tsuen)というところで分岐の駅を作って、天水圍方面への乗換駅を作ります。最初は坑尾村から天瑞(Tin Shui)までの4駅2.1キロが1993年1月に開通します。さらに、1995年になるとターミナル駅としての天水圍駅が誕生します。また、天水圍の1.7キロ先にある銀座(Ginza)を起点・終点とする3つの駅もできます。
 
  まだまだ続きます。中国本土の新移民を中心に人口増加が止まらない天水圍は2003年12月に天瑞と銀座を結ぶ2.7キロの路線が完成し天水圍をぐるりと1周できるようになります。705番(反時計まわり)706番(時計回り)がその循環線となっています。
 

[MTR Part 22]★新界を駆け巡るLRTその2(開通初期) 8/13更新

軽鉄(LRT)はメリットと言えば地下鉄と比べて総工費が圧倒的に低いことがあげられるので黒字化しやすいという点があります。元々は1970年代に屯門(Tuen Mun)の発展が始まった時に構想が立ち上がります。その時の地下鉄の状況を考えますと、まだ港島線(Island Line)ですら開業していないので地下鉄という選択肢はほとんどなかったと思います。
 
  香港政庁は同じ路面電車ということで当時、九龍倉集団(The Wharf(Holdings))の傘下にあった香港電車(Hong Kong Tramways)にオファーをしました。Wharf側も2回建てのトラムを走るようにするといった計画を考えましたが、最終的には条件が折り合わず撤退。香港政府は次に「九広鉄路(KCR)」に打診し、KCRがそれを受け入れたことで計画が進み(KCRは総工費を10億5000万ドルと試算)、1985年に着工し、1988年に開通となりました。開通前の試験運転でトラブルがあったり、交通事故があったりなどしたため、1988年8月8日の開通予定でしたが、約1カ月遅れ9月18日に屯田―元朗(Yuen Long )、屯門―安定(On Ting)、屯門―屯門碼頭(Tuen Mun Ferry Pier)など計3路線でなんとかい開業にこぎつけています。
 
  この当時、このエリアは九龍巴士(KMB)などがバスを走らせていたのですが、LRTによって収益が落ち込むことが確実視されたので、このエリアから尖沙咀(Tsim Sha Tsui)、旺角(Mong Kok)、香港島(Hong Kong Island)方面への路線を代わりに開設することを認め損失を抑えることが認められています。
 

[MTR Part 21]★新界を駆け巡るLRTその1 8/6更新

今回からは元朗(Yuen Long)や屯門(Tuen Mun)などを中心に新界(New Territories)の西部で香港鉄路(MTR)が運営している軽鉄(LRT)について説明していきたいと思います。1988年9月18日に開通したLRTですがLRTとはLight Rail Transitの頭文字を取ったものです。見た目はトラムの路面電車ですが、最高速度は時速80キロに設計されています。実際の運行速度は最高でも70キロまでとしているようですが、トラムとは違い高速で走ることが可能です。
 
  総延長は36.2キロ、68もの駅があり、線路幅は1435ミリの標準軌で、車輌は長さ20.2メートル、幅2.65メートルで3枚のドアがついています。1日19時間、140輌の電車で運行されていますが、路線によっては1両編成、最大で2両編成となっています。
 
  支払方法はチケットを購入するか、電子マネーの八達通(Octopus)を利用することになります。とくにオクトパスの場合は、車輌内で支払うのではなく、プラットホームに設置された機械にかざして料金をしはらいます。具体的にはLRTに乗るときはオレンジの色をした機械が設置されていてそこにオクトパスをかざします。下車するときは緑色の機械にオクトパスをかざすというものです。この支払スタイルは、プラットホームの入り口に地下鉄のようにゲートを設置しないので、キセルつまり不正乗車が可能です。ただ、MTRの職員が抜き打ち的に、そして頻繁にLRTに乗り込んできてキセルをしているかどうかを確認するので(職員が持っている機械にオクトパスをかざせば一発で支払ったかどうか分かる)、キセルをする人はかなり勇気がいります(もしキセルが発覚した場合は罰金として290ドルを支払う必要があります)。
 
  そう言う意味では、香港政府は性善説にかけたと言えます。これはヨーロッパの支払い方式を参考にしたと言われていますが、コストパフォーマンスもいいので、このやり方で大きな問題は発生していないようです。
 

[MTR Part 20]★鉄道の会社なのにバスも運行させています 7/30更新

香港鉄路(MTR)は鉄道会社ですが、実はバスも運行していることをご存知でしょうか? 歴史をたどると1985年9月に「九広鉄路(KCR)」は利用促進のため「K11」=沙田第一城(City One)-銀禧花園(Jubilee Garden)と「K12」=八號花園(Eightland Gardens)-大埔墟火車站(Tai Po Station)の2路線を「九鐵巴士(KCR Feeder Bus)」という名前で運行を始めたのが始めました。客の評判は上々でどんどん路線が増えていきました。K15(旺角火車站(Mong Kok Station)-中港碼頭(China Ferry Terminal)はKCRのほか香港小輪(The Hongkong and Yaumati Ferry Company)、信和集団(Sino Group)が共同経営に乗り出すほどでした。
 
  1988年には新界(New Territories)西部で運行を開始した「軽鉄(LRT)」との接続も開始しています。KCRは2007年12月に香港地鉄(MTR)と合併して香港鉄路(MTR)となったためバスの名称も港鐵巴士(MTR Feeder Bus)に変更となりました。
  ただ、ちょっとした混乱も色々ありました。元々、バスを開設した主旨は、鉄道利用促進だったので、乗客にはバス代が優遇したりしていました。
 
  しかし、バス運行のうまみをしったKCRは鉄道会社にも関わらず上水駅(Sheung Shui)駅-香港ディズニーランドというバス路線を開設。上水駅を利用することを条件としていましたが、明らかに中国本土の観光客を狙ったもので、業界団体などが反対。結局、2007年11月に路線は取り消しとなりました。
  現在、港鉄巴士は、鉄道路線やLRTの指定する港鐵巴士系統に乗車し、八達通(Octpus)でバス料金を支払う場合はバス料金は無料となるというルールを採用しています。運行のほとんどを九龍巴士(KMB)に委託していますが、バス車両などはMTRが所有しています。
 

[MTR Part 19]★終日運行と定時運行 7/23更新

2020年の東京五輪では競技終了時間が遅くなる競技がでることから、東京と五輪の大会組織委員会は終電の時間を最大深夜2時まで繰り下げることで合意しました。JR、私鉄、地下鉄の60路線が対象になるようです。
 
  また、日本でもの鉄道各社が年末年始を中心に地元の大きなイベントがあると終日運転をしていますが、香港鉄路(MTR)では、昔からクリスマスイブ、大みそか、旧正月の大みそか、中秋節の4つは終日運転をしています。香港はタクシー料金が安く、24時間営業のバスやミニバスもあるので絶対に必要というわけではないのですが、人口740万を抱え、観光客は年間6500万人も訪れる世界有数の観光都市ですから常に客の利便性を考えているためです。
 
  では、どの位、時刻表通りに動いているのか…。MTRは始発と終電の時間のみ駅に表示されていて、それ以外はこの時間帯は何分おきに来る、あと何分で到着するという表記を採用しているので、実際に何時に来るのかは分かりません。MTR(10路線230キロ)は「乗客車程準時度(Passenger Journeys On-Time Maintained)」を毎年発表しています。
 
  それによると2018年は580万人が乗車して99.9%、スケジュール通りに運行したとしています。また、2018年2月から2019年1月にかけて30分以上遅れた回数は10回だそうですが、このコラムのPart 10で書いたように、重大な事故が頻発しているので、99.9%と言われても少しネガティブな印象を持ってしまいます。ただ、世界の鉄道と比べると優秀であることは間違いないでしょう。
 
  ちなみに東京メトロ(9路線203.4キロ)ですが、定時運航率ではなく1カ月あたり遅延証明書をどれだけ発行したかというデータを発表しています。2017年のデータでみると全路線で1カ月あたり0.4回ほど遅延していますので、1年あたりに換算すると年5回という計算になります。しかも東京メトロの場合地下鉄は他社の相互乗り入れがあるので、その影響を受けますからかなり優秀だと言えるでしょう。
 

[MTR Part 18]★ロープウェー「昂坪360(Ngong Ping 360)」も経営 7/16更新

香港鉄路(MTR)は事業の多角化の一環としてショッピングモールの運営をしていることを紹介してきましたが、それだけではありません。東涌(Tung Chung)と天壇大佛(The Big Buddha)がある寶蓮禪寺(Po Lin Monastery)とを結ぶロープウェーの「昂坪360(Ngong Ping 360)」の経営を行っています。
 
  昂坪360は2006年9月に完成し、全長5.7キロとアジア最長で、25分間かけて登ります。これまで寶蓮禪寺まではバスを使っていましたが1時間ほどかかったので圧倒的な時間短縮効果がありました。
  360という言葉があるように、周りに遮るものがないため360度景色を楽しめることが特徴です。ロープウェーのゴンドラは通常のゴンドラに加えて床の部分がガラス張りとなっている「水晶車廂(Crystal Cabin)」の2種類があります。料金は通常が往復で235ドル、足元がすくんでしまうクリスタルの方は315ドルとなっています。片道では通常が160ドル、クリスタルが215ドルです。
 
  昂坪360は当初、MTRとオーストラリアのSkyrail-ITMという合弁会社の傘下にある香港Skyrailが共同で運営していましたが、運行開始をしてから1年も経っていない2007年6月にゴンドラが落下するという事故が発生します。その結果、MTRが香港Skyrailを9月に買収することを決定。期せずしてロープウェーの経営を行うことになりました。
 
  幸い、MTRが経営してからは大きな事故も発生していないので、今は非常に安定して観光客を集めているようです。

[MTR Part 17]★PopCornはホテルを併設させた大型モール 7/9更新

これまで紹介してきた香港鉄路(MTR)の「地区性商場(Regional Malls)」の最後は将軍澳(Tseung Kwan O)にある「PopCorn」というショッピングモールです。大きさは34万5000平方フィートで150の店があります。地区性商場(Regional Malls)の中では最も小さいモールですが、前後の地下鉄駅にもショッピングモールがたくさんあるのでこの位でいいと思います。
 
  家電量販店、シネコン、ナムコのゲーセン、ユニクロ、アニエスベー、点心で有名な添好運、スターバックスとMTRらしい手堅いテナントミックスになっていますが、とくに化粧品に力を入れている印象です。
 
  モールの最も特徴的なのは、「皇冠假日酒店(Crowne Plaza)」と「智選假日酒店(Holiday Inn Express)」という2つのホテルと接続しているからです。香港には大勢の観光客が来ますが部屋数の供給量が足りないのと土地も限られているので、将軍澳という新興住宅地にもホテルが作られています。ただ、香港の中心部から遠いと言うことで客室稼働率が低いほか、宿泊客がPopCornに立ち寄って消費をあまりしないという記事も掲載されていて、その点では香港鉄路(MTR)にとって計算外と言っていいでしょう。
 
  このモールは、地下鉄将軍澳線(Tseung Kwan O Line)が開通した後に完成したモールなので(2012年)、非常に作りが新しく、デザインもモダンでそう言う意味では「垢ぬけた」ショッピングモール言っていいと思いますし、この先も人口が増えると予想されるので、香港お得意の数年に1回の大改修を施して、売り上げを上げていく努力をしていくと考えるのが自然でしょう。
 

[MTR Part 16]★地域的には正にオンリーワンのショッピングモール「青衣城」 7/2更新

九龍湾(Kowloon Bay)にある「徳福広場(Telford Plaza)」は香港鉄路(MTR)が  「地区性商場(Regional Malls)」の1つであることを紹介しましたが、「青衣城(Maritime Square)は同じ地区制商場としては相当な存在感があります。なぜなら場所が青衣(Tsing Yi)という小さな小島にあるからで、大型ショッピングモール事実上ここにしかないからです。天丼が食べられるファストフードの「てんや」の香
 
  港第1号店がここに開店しており、モールとしての集客力があることを物語っていると思います。
  青衣城は1994年にオープンした第1期、2017年に開店した第2期の2つからなっていて、あわせて58万平方フィートに170の店がならびます。第2期は5万平方フィートとあまり大きくありませんが、充実した飲食店があるほか、面積の10分の1にあたる5000平方フィートを屋外の広場を造成。世界有数の香港のコンテナターミナルを見ることができるほか、開放的な気分にさせてくれます。
 
  モールのお店のラインナップは徳福広場(Telford Plaza)と大きな差はありません。Mark & Spencerがあり、ユニクロがあり、ZARAもあり、イタリアントマトがあり、スターバックスがあり、豊澤(Fortress)という大手家電量販店があり、シネコンもあります。
 
  青衣ということで地下鉄駅からの導線が巧みに作られていることです。地下鉄を出るとスムーズにモールに入ることができるとi言いますか、地下鉄駅がモールに上手く組み込まれているという印象です。これは香港鉄路(MTR)が鉄道もモールも一緒に運営しているからこそできるものだと思います。
 

[MTR Part 15]★本社のお膝元にある徳福広場 6/25更新

香港鉄路(MTR)が  「地区性商場(Regional Malls)」として区分けされている中に「徳福広場(Telford Plaza)」があると紹介しました。つまり、東九龍エリアでの1番店を狙うという事になります。東九龍にはいまでこそ,観塘に「apm」、九龍湾に「MegaBox」、鑽石山(Diamond Hill)には「荷里活広場(Plaza Hollywood )」といった大型のショッピングモールがありますが、徳福広場は1980年にできた当時唯一の大型ショッピングモールです。1997年には第2期(Plaza 2)も完成し、MTRの本社も同モールと繋がっています。
 
  93万平方メートルに266のお店が入っています。テナントですが、例えば、ユニクロ、Mark & Spencer、Outback Steakhouse、スターバックス、シネコン、旅行代理店、フィットネスクラブなど全部入りのモールです。ここに行けば他のところに買い物に出かけるという必要はあまりありません。ほかのところと比べてユニークなのは、屋上にあたる「平台(Podium)」というフロアで、そこは南側にある工場街、オフィス街への通勤用の通路「黄金大道(Golden Boulevard)」にもなっているのですが、ここに映画館や銀行の支店を集積させて、かつPlaza 2への出入口も兼ねている点です。開放的な空間でかつにぎわいを持たせるという、日本ではなかなか考えにくい設計をしていますが、これは大いに参考になると思います。
  近くにMegaBoxができたこと、MTR本社のお膝元にあるだけあって、モールの運営は気合が入っていいて、絶え間なく改修をしているほか、テナントミックスを調整して客に飽きさせないよう努力している印象を受けます。
 

[MTR Part 14]★高級モール「圓方(ELEMENTS)」に託すMTRの思い 6/18更新

香港鉄路(MTR)は事業の多角化の一環としてショッピングモールの運営をしていて、3つのカテゴリーに分けると前回紹介しました。そのうち「高端商場(Luxury Mall)」に位置付けているのが九龍駅(Kowloon Station)の上にある「圓方(Elements)」でMTR権益の81%を持っています。
 
  エレメンツに関しては2018年8月27日の“[Sun Hung Kai Properties Part 5]★工夫したモール作りがされている「圓方(ELEMENTS)」”のコラムで詳しく書いていますが、高級マンション、リッツカールトンとWホテルという高級ホテル、ラグジュアリーブランドの旗艦店、テナントの多さ、レストランの充実、アイスリンクの造成、巨大シネコンもあるなど、「環球貿易広場(ICC)」という高層かつ高級オフィスとビルを建設し、さらに展望台を併設させて観光地としています。
 
  場所的には最高の立地とまでは言えないのですが、あらゆるものがそろっているという総合力で集客しているのを感じさせるので、しょっちゅういくわけではないのですが、年に数回かは必ず寄っているというモールになっていることは間違いありません。
 
  また、2018年9月に開業した高速鉄道の始発・終着駅である西九龍駅(West Kowloon Station)とも接続しました。MTRが積極的にエレメンツを推進したのは、高速鉄道が通るからというのは間違いなく、ビジネスとしての狙いがようやく実現したと思っていることでしょう。
 

[MTR Part 13]★ショッピングモールも経営しています 6/11更新

香港鉄路(MTR)は鉄道の運営だけを行っているわけではありません。事業の多角化をしています。今回からいくつか紹介したいと思います。MTRはショッピングモールの経営を積極的に行っています。
 
  鉄道を利用してもらうためにデパートを作ったというのは阪急の創業者小林一三が始めたビジネスモデルですが、香港の場合は不動産収入は安定しているから参入するという意味合いの方が強いと思います。
 
  MTRではショッピングモールを3つのカテゴリーに分けて運営しています。「高端商場(Luxury Mall)」に位置付けているのが九龍駅(Kowloon Station)の上にある「圓方(Elements)」です。こちらは高級ブランドがたくさんテナントとして入居しています。
 
  「地区性商場(Regional Malls)」として区分けされているのが九龍湾(Kowloon Bay)の「徳福広場(Telford Plaza)」、青衣(Tsing Yi)にある「青衣城(Maritime Square)」、将軍澳に構える「PopCorn」です。こちらは高級路線ではありませんが、かなり大規模なモールとして運営されています。
 
  最後が「其他商場(Neighbourhood Malls)」というものです。規模はそこそこでその地域に密着したショッピングモールです。杏花邨(Heng Fa Chuen)の「杏花新城(Paradise Mall)」、[艸/全]湾(Tsuen Wan)の「綠楊坊(Luk Yeung Galleria)」、坑口(Hang Hau)にある「連理街(The Lane)」、沙田(Shatin)の「Citylink」、火炭(Fo Tan)の「駿景広場(Plaza Ascot)」、屯門(Tuen Mun)にある「海趣坊(Ocean Walk)」、屯門西(Tuen Mun West)の「新屯門商場(Sun Tuen Mun Shopping Centre)」、同じく屯門にある「恒福商場(Hanford Plaza)」の8つのモールがあります。
 
  これだけのモールを運営しているのですが、MTRはデベロッパーではないにも関わらず実に賢く運営している印象を受けます。
 

[MTR Part 12]★毎年のように乗車料金が値上がり 6/4更新

香港に長年住んでいると、「最近の香港鉄路(MTR)は毎年のように値上げするな」と感じることでしょう。値上げをすることが少ない日本の鉄道会社を考えると対照的なだけに余計に感じるかもしれません。
 
  実際MTRは2011年=2.2%、2012年=5.4%、2013年=2.7%、2014年=3.6%、2015年=4.3%、2016年=2.65%、2017年=凍結、2018年=3.14%とほぼ毎年値上げしてきました。しかも2018年は2017年の凍結分を含むというものです。
 
  これは2010年からMTRは「可加可減機制(Fare Adjustment Mechanism)」というやり方で運賃を算出しているからです。つまり、2010年以前はほとんど値上げが頻発することはありませんでした。そして、この計算方法のやり方ですが、インフレなどを加味するので値下げが起きにくいようになっているのです。
 
  もちろん、香港市民に不評です。最大の理由は、ほぼ毎年大幅な黒字を出しているにもかかわらず値上げをするからです。しかも、前々回書いたように列車事故や遅延が連発。さらには、新路線の開通が遅れたり、工事に不備があったりと、全体的にサービスに見合った運賃を提供していないと感じる人が多いのは自然なことかもしれません。
 
  MTRでは、その不満を解消するべく料金の値上げをするたびに、早期割引、定期券価格の据え置きなど運賃の還元をするということをしていますが、根本的に対応を間違っている気がしてなりません。
 

[MTR Part 11]★地下鉄ホームドアの設置はほとんどが日本製 5/28更新

ホームドアの設置は転落防止、自殺防止の観点からも世界中の鉄道会社の課題とも言えます。設置するには1駅のプラットホームあたり億単位の費用がかかるみたいなので、一気に設置するとは行かないようですが、順調に設置が進んでいると思います。
 
  香港は世界に先駆けてホームドアを設置してきてきた鉄道会社です。1998年に「機場快線(Airport Express)」の開設とともに青衣(Tsing Yi)や九龍(Kowloon)駅などにフランスのFaiveley Transport社製のを設置したのが始まりです。
 
  設置が本格化したのは2000年代に入ってからです。2001年に北角(North Point)に日本のナブテスコ社のホームドアが採用され、2002年になると將軍澳線(Tseung Kwan O Line)が開通しますが、沿線の駅は全てナブテスコ社になります。一方、同じ2002年に荃湾線(Tsuen Wan Line)の尖沙咀(Tsim Sha Tsui)や旺角(Mong Kok)などにも設置されましたがこちらはスイスのKABA Gilgen AG社が担当します。2003年に開通した西鉄線(West Rail Line)はすべてナブテスコが担当する一方、港島線(Island Line)には2003年~2005年にかけて多く設置されましたが、こちらはKABA Gilgen AGが落札と2つの会社が争っていました。
 
  ところが、2011年にナブテスコがKABA Gilgen AGを買収。社名をGilgen Door Systems AGに変更します。その結果、東涌線(Tung Chung Line)と機場快線以外はナブテスコのグループ会社が担当していることになりました。また、現在建設中の屯馬線(Tuen Ma Line)の顯徑(Hin Keng Station)や紅磡(Hung Hom)の7駅も子会社のGilgen Door Systems AGが施行する事になっています。つまり、日本の会社が香港のホームドアのほとんどを担当していることになります。
 

[MTR Part 10]★事故が頻発するMTR 5/21更新

ここ数年、香港鉄路(MTR)は事故や遅延問題が頻発しています。原因の1つとして、地下鉄を運営していた地下鉄路(Mass Transit Railway Corporation / MTRC)と九龍と広州を結んでいた九廣鉄路(Kowloon-Canton Railway /KCR)が2007年に合併したこと挙げられます。一気に規模が大きくなって運営が難しくなったからです。またMTRの職員組合によるとMTRは利益出しているにもかかわらず、補修とかの予算を削減しているほか、人手不足も深刻化しているからと言われています。
 
  2010年以降見ても、事故と特に遅延が頻発しています。2018年10月16日荃湾線(Tsuen Wan Line)の信号システムを更新をしようとしたところ不具合が発生します。それが連鎖して觀塘線(Kwun Tong Line)と港島線(Island Line)の信号システムも不調に陥ります。結局、始発から間引き運転をすることになり朝のラッシュ時は大混乱。バス停には長い行列ができました。補修にも時間がかかり港島線で9時20分ごろから正常運行に戻りました。ところがその約1時間後の午前10時20分ごろ今度は將軍澳線(Tseung Kwan O Line)で信号システムに不具合が発生。13時に修理が終わったのですが、4つの線で問題が発生するという事になってしまいました。MTRは迷惑をかけたということで11月3日と4日に割引料金でも運行をしました。
 
  記憶に新しいのは2019年3月18日に発生した事故です。早朝の午前3時ごろ、荃湾線の中環(Central)と金鐘(Admiralty)の間で、新信号システムの試験をするために走行していた2つの車両が衝突する事故が発生します。中環駅は起点・終点ですので、もし、金鐘駅から列車が入線してくるとプラットホームの1番線か2番線に振り分けられるので、手前にある線路のポイントが切り替わる作業が行われます。このテストでは、それが何かの影響で機能せず、2つの車両が衝突したのです。
  深夜でのテスト走行ですので、乗客が乗っていなかったことは幸いでした。この事故で荃湾線は18日と翌19日運休に追い込まれ、3月20日から再開をしました。
 

[MTR Part 9]★最大300ドルの還付を受けることのできる 5/14更新

香港政府運輸署(Transport Department)は1月1日から公共交通機関で月額400香港ドル以上を利用した場合、最大で300香港ドルを還付する制度の運用を始めました。香港政府が財政に余裕があるということから市民への還元という意味を込めて行われている制度です。月額で400ドル以上の交通費となった場合に、上限を300ドルとして交通費の25%が戻るという仕組みです。
 
  還付となる公共交通機関は地下鉄(MTR)、軽鉄(LRT)、九龍巴士(KMB)、城巴(City Bus)、新世界第一巴士(New World First Bus)、龍運巴士(LMB)、新大嶼山巴士(New Lantau Bus)、緑のミニバス全路線などです。
 
  還付を受けるには基本的に八達通(Octopus)の利用が必要となります。ここに全ての乗車記録が記録され(各駅には乗車記録を確認できる機械があります)、MTR全ての駅(94駅)、5つのLRT駅、フェリーふ頭22カ所、セブン-イレブンやサークルKといったコンビニエンスストア、大手スーパーマーケットチェーンの恵康(Wellcome)に設置された機械を利用します。機械は青と緑色の2種類あるのですが、一般の人は青色の「補貼領収站(Subsidy Collection Point)」という機械に八達通をかざすだけです。ちなみに緑色の「指定車船票自助登記站(Designated Transport Ticket Self-registration Point)」は定期券用と思って下さい。このようにシステムは非常に簡単で、誰でも還付を受けられるようにしています
 
  小生も早速試しましたが、12ドルほど還付されました。わずか12ドルといういい方もできますが、小市民としてはこういうものは嬉しいものです。
 

[MTR Part 8]★エアポート・エクスプレスその2:博覧館駅への延伸 5/7更新

中環(Central)にある香港駅と香港国際空港を結ぶ「機場快線(Airport Express)」ですが1998年に開通しています。そして、路線を延伸させて2005年12月に「博覧館(Asia World Expo)」という駅が出来ました。これは湾仔(Wan Chai)にあるコンベンション施設「会議展覧中心(HKCEC)」だけでは会場が足りなくなり新しいコンベンション施設を空港横に新設したからです。ここでは安室奈美恵、GLAYといった日本のアーティストのほかアッシャー、テイラー・スウィフトといった海外のトップ歌手のコンサートなども開催されています。これのおかげでエアポート・エクスプレスに乗るのは、空港に行くだけではなく、コンサートや展示会に向かうために利用する機会が増えました。
 
  香港港路(MTR)が賢いと思うのは、エアポート・エクスプレスは香港-博覧館は片道115ドルするのですが、博覧館に1時間以上滞在し、同じ日に戻って来る時、もし電子マネーの八達通(Octopus)を利用したばあい80ドルという割り引き料金を採用している事です。賢いと書きましたが、MTRとしては値下げをせざるを得ない理由があります。開業時はのエアポート・エクスプレスは空港まで100ドルしたのですが、「料金が高い」と香港市民から不評を買ったからです。これにより乗客数もあまり伸びませんでした。
 
  博覧館への往復は単純計算でいくと230ドルもすることになり、いくら大物歌手がコンサートを開いても、チケット料金に加えてさらに230ドルもかかる=3000円以上負担しないといけないので、チケットが売れないというリスクを計算したということでしょう。
 
  なお、電車の出発頻度ですが大体10分に1本程度なので、それほど待つ必要はありません。
 

[MTR Part 7]★エアポート・エクスプレスその1:概要 4/30更新

中環(Central)にある香港駅と香港国際空港を結ぶのが1998年7月6日に開通した「機場快線(Airport Express)」です。旧啓徳空港(Kai Tak Airport)の時は市街地から近かったのでアクセスといういみでは容易でしたが、今回は大嶼山(Lantau Island)に作られたのでアクセスの利便性向上は必須だからです。
 
  通過駅は九龍駅(Kowloon Station)、青衣(Tsing Yi)、機場(Airport)、博覧館(Asia World Expo)の4つです。全長は35.3キロで、中環と空港は24分、中環と博覧館は28分で結んでいます。車両は8両編成で最高時速は135キロ、1日当たり4万3000人を運び、約20年間で2億人以上を運んできました。
 
  座席は非常に快適でリラックスできるほかUSBポートも設置してスマートフォンを充電できるようにしたり、WiFiに接続できるようにしたりといった配慮もしています。運行時間については、空港発の始発は5時54分、終電は0時48分、市内から空港へは香港駅を使った場合、始発が5時50分、終電が0時48分となっています。また、香港駅と九龍駅からは、主要ホテルを回る香港エアポート・エクスプレス専用の無料シャトルバスがあるので、ホテルからエアポート・エクスプレスまでの交通費が浮くという、日本の以上の細かなサービスを提供しています。
 
  画期的なのは香港駅と九龍(Kowloon )駅では空港に行かなくてもチェックインできる「市区預弁登機服務(In-town Check-in)」です。ここでチェックインしてしまうことで、乗客は空港へは大きな荷物なしで向かうことができるのです。ですので、中環や圓方(Elements)で最後の買い物を出来るので、香港市民、観光客、ビジネスマンなど多くの人が喜ぶサービスです。
 

[MTR Part 6]★香港と中国を結ぶ高速鉄道その4:西九龍駅(2) 4/23更新

前回、西九龍駅(West Kowloon Station)は巨大と書きましたが、高層ビルに囲まれた香港という意味では、高さ的には低いと感じでしょう。ただ、高速で鉄道を走らせるために香港区間はほとんどを地下に線路を敷設させたので西九龍駅は下へ下へという深い駅という印象を受けるでしょう。実際、吹き抜けの構造で、かつガラス張りにしているので、待合室が地下にあるのを見ることができます。
 
  駅舎内は、フードコート的な食事をするエリアや上の階には点心で有名な「添好運(Tin Ho Wan)」があります。お土産を買うゾーンももちろんあります。チケットを買うのは、自販機であったり、カウンター越しに買ったりすることになりますが、電子掲示の時刻表の大きさにも圧倒されます。
 
  中国の高速鉄道と同じく待合室やプラットホームに行くには自由には行けず、この時間帯に出発する人だけが、構内の奥に入れます。香港側で香港と中国の税関業務の両方を行うというのも特徴です。小生はまだ利用していませんが、西九龍駅構内に中国と香港の境界線が引かれているそうです。
 
  前回、駅の屋上に階段を設置し歩けるようにして、最上階に展望台を設置したと書きましたが、展望台へはエレベーターもあるのでそちらも使えます。ここからは、左手に海港城(Harbour City)や新しくできた京劇の劇場「戲曲中心(Xiqu Theatre)」があり、正面には「国際金融中心(IFC)」を中心とした香港島の高層ビル群、右手には建設が進められているには「西九文化区(The West Kowloon Cultural District)」の各種建築物やショッピングモールの「圓方(Elements)」を一望できます。
 

[MTR Part 5]★香港と中国を結ぶ高速鉄道その3:西九龍駅(1) 4/16更新

「高速鉄道廣深港高速鐵路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)」の香港側の起点/終点になる駅が西九龍駅(West Kowloon Station)です。西九龍文化区(West Kowloon Cultural District)と隣接するほか、大型高級ショッピングモール「圓方(Elements)」と直通ですから、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)や佐敦(Jordan)は全体的に西側への人が流れが強くなると思います。また、地下鉄の九龍駅(Kowloon Station)と柯士甸駅(Austin Station)ともつながっているので、西九龍文化区が完成した暁には、尖沙咀、銅鑼湾(Causeway Bay)、中環(Central)のような香港街なか、中心地の1つになる可能性が低くありません。
 
  本当に巨大ターミナル駅で、11ヘクタールの敷地に地上2フロア、地下4フロアの駅で総床面積は43万平方メートル。ホームは長距離用が9、短距離用が6、レストランや免税店などの商業施設は3万平方メートルを誇ります。パスポートなどの審査のカウンターは144カ所、出入国用IDカードの機械は75機を設置。500台分の駐車場、休憩室などの駅に必要な施設も造るほか、8900平方メートルの公園も建設。大型のバスターミナル、ミニバス用のバス停もあります。エスカレーターは70台、エレベーターは120台、自動券売機は39台など、何から何まで大きいです。もちろん、駅にはレストランエリア、お土産ゾーンも設けられています。
 
  この駅で面白いのは、駅の屋上を歩けるようにして、最上階に展望台を設置したことです。この辺は、観光都市である香港は観光というものをよく理解している気がします。
 

[MTR Part 4]★香港と中国を結ぶ高速鉄道その2:料金や日系企業 4/9更新

元々、「高速鉄道廣深港高速鐵路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)」は、2015年に開通予定で、香港側ルートは2010年1月に着工していました。しかし、天候不順、原材料価格の高騰などで工事がどんどん遅れて、2018年9月までずれ込んだという経緯があります。そのおかげで、予算が想定以上に膨らんでしまい、立法会は650億ドルで承認したのに、前回述べましたが最終的には844億2000万ドルまでに達してしまいました。一時期は立法会の承認が下りず、プロジェクトが破綻しかねない危機に陥ったほどです。
 
  この工事には日系企業も携わっていまして、前田建設工業が中国建築と共同体(JV)を組んで、トンネル工事と停車場および待避線工事の2件、計約47億2,000万ドルで落札しています。五洋建設も同じくトンネル工事を約16億8,000万香港ドルで単独受注しました。また、新菱冷熱工業が環境コントロールシステムと電気系統の設置工事など計3件、約16億3,000万ドルで請け負っており、頑張っています。
 
  列車は8両編成で、先頭と最後の車両は計68席で読書用のライトやフットレストなどが完備する「グリーン車」のような車両になっています。2号車から7号車は、普通車で計511席。トイレは7号車のみで、IT時代を象徴するかのように全ての座席に電源がついています。
 
  料金ですが、座席は下から2等、1等、特等、商務の4種類ありまして、2等で比較すると福田までは77ドル、広州南が242ドル、桂林西が428ドル、長沙南が598ドル、北京西が1217ドルに設定されています。

[MTR Part 3]★香港と中国を結ぶ高速鉄道その1:概要 4/2更新

香港と広州南を結ぶ「高速鉄道廣深港高速鐵路(Guangzhou-Shenzhen-Hong Kong Express Rail Link)」の香港側が2018年9月23日に開通しました。
 
  総事業費は844億2,000万香港ドルで、香港の西九龍駅(West Kowloon Station)から深[土川]の福田などを経由して広州南駅結ぶ高速鉄道です。全長は香港側が26キロ、中国本土側は116キロあり、香港側には駅はありません。中国側は福田、深[土川]北、光明城、虎門、慶盛、広州南の6駅あります。広州までつながっているという意味は、北京までもつながる中国高速鉄道網の一部ということになります。
 
  最高速度は350キロで、運行速度は中国側が300キロ、香港側は200キロなので、まさに新幹線ですから都市間移動が一気に楽になります。羅胡(Lo Wu)経由の路線(特急のような感じ)では、香港-深[土川]は49分、香港-広州東駅は2時間かります。高速鉄道では、香港-福田が14分、香港-深[土川]北駅で23分、香港-広州南駅で48分と所要時間が大幅に短くなりました。ちなみに香港-北京間は23時間から8時間になります。
 
  日本でも新幹線で通勤する人もいることを考えると通勤圏ともいえるほどです。広州市の人口は約1400万人、香港は約700万人。計2100万人あまりになるので、この2都市だけで近畿圏と同じくらいになります。
  1日当たりの乗客数は、西九龍から福田および深[土川]北を6万7500人、西九龍-広州南は1万8300人と想定しています。その他の途中下車する乗客などを含めると西九龍発の列車では1日10万9200人の利用客があると計算しています。香港-深センは15分に1本、香港-広州は30分に1本の頻度です。
 

[MTR Part 2]★MTRが八達通の普及を後押し 3/26更新

香港は電子マネーの八達通(Octopus)というのが香港市民に幅広く流通しています。1997年から利用が開始され、2018年までに累計3450万枚が発行されています。単純計算で香港市民1人4.6枚持っていることになります(15歳~64歳の所持率は99%)。現在では、MTRのみならず、バス、一部のタクシー、トラム、セブンイレブン、マクドナルド、恵康(Wellcome)など幅広く利用が可能ですが、ここまで香港市民が持つようになったのは、香港港路(港鉄 / MTR)が採用したことだと思います。
 
  MTRの上手だなと感じるのは、日本ですとJR東日本でSuicaを利用しても割引が採用されないのですが、香港の場合は現金で乗車券を買うよりOctopusを使う方が料金が安いというのがあります。MTRは売上をよりも八達通を普及させるための割引を受け入れたということです。バスにおいても同じで、昔はお釣りが出なかったのですが八達通のおかげでお釣りを気にしなくて良くなるという点も普及を後押ししました。
 
  ちなみにJR東日本がSuicaを開始したのが2001年なので、香港の方が日本より4年も早いです。非接触型のカードで通信方式は「Near Field Communication(NFC)」を採用しているのですが、その技術はソニーとフィリップスが共同開発した技術ですので、そう考えても、日本より香港の方が先見の明があったという、日本にとっては皮肉な現実です。
 
  NFCはプログラムさえ変えればいいので、さらなる特別割引をしたり、2019年に香港政府による交通費の還付も八達通を利用したりしており、MTRはNFCを採用すること決めたのは香港社会に大きな影響を与えたといっていいでしょう。
 

[MTR Part 1]★香港市民の足、MTR。乗り換えをスムーズにさせることまで考えられている 3/19更新

今回から鉄道の香港港路(MTR)を紹介したいと思います。漢字では「港鉄」と書かれますが、開業から2017年で20億人を運んだ香港市民の足です。
 
  今、新路線にまつわる工事のミスでいろいろ揉めていますが、イギリスによる植民地時代の官僚から現在まで、基本的にはしっかりと計画を練って整備をしているのがわかります。路線図をみると東京と比べてかなり分かりやすくなっていますし、何よりも乗り換えは、基本的に上の階や下の階に移動することなく反対側のプラットホームに移動すればいいと言う構造になっています。これが、筆者がMTRを評価しているところです。
 
  例えばですが、乗り換え駅を2つの駅に分散させていた時がありました。赤い荃湾線(Tsuen Wan Line)と緑色の観塘線(Kwun Tong Line)の場合、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)駅から九龍塘(Kowloon Tong)に行く時は、旺角(Mong Kok)駅で乗り換えます。もちろん、乗り換えは対面のプラットホームに行くだけです。一方、九龍塘から尖沙咀に行く場合の乗り換え駅は旺角ではなく次の油麻地(Yau Ma Tei)駅でした(今は、観塘線が黄埔(Whampoa)駅まで延長されたので油麻地駅は黄埔方面に乗り換え駅になっています)。1つの駅で両方向の乗り換えさせるのではなく、駅を分散させることで混雑を緩和させるという狙いがあります。対面での乗り換えも、混雑緩和に役立つほか乗り換えも簡単なので、客にとっては非常にありがたいサービスです。
 
  それを実現させるためには、工事費がかかります。普通は一般道路のように同じ路線が地下にほぼ同じ深さで平行に掘られて地下鉄を運行させています。ですが、対面にするということは、反対側に別の路線を持って来なければいけないので、同じ路線は横ではなく2階建てバスのように縦にしなければなりません。つまり、佐敦(Jordan)駅から油麻地駅までの工事は複雑になり、お金がかかります。それをやると決めたのは、香港政庁は英断したと思います。
 

筆 者 武田信晃
E-mail nobuwork@hotmail.com
略 歴 1996年大学卒業し、新聞社、週刊香港で記者・編集者として従事する。2005年に独立してフリーランスのライターとして活動を開始し現在に至る。香港の政治・経済を中心に執筆する一方、ミーハーな性格から香港映画・芸能、レストランなどのサブカルチャーの記事も守備範囲で08年には『ファーストフードマニア 中国・台湾・香港編』(社会評論社、共著)を刊行した。また、スポーツ好きで香港セブンス、マカオGPは必ず現場に足を運んで取材を敢行する。一方で、カナダ人デザイナーと女性向けバッグLiuciaを07年に設立。ビジネスにも携わることになりストレスをためこむ。また、相方は香港の血を引いているため、香港市民の友人を持つだけではわからない香港を知ることになりディープな原稿を書くことも可能。
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