文字サイズ   
警告文は何語なら  1/31更新

交通標識が、その内容ではなく、書かれている言語故に、中国本土の人を馬鹿にしているのではないかと香港で問題になっている。
 
  書かれている内容は、道路にものを置いてはいけない、ゴミのぽい捨ては禁止、のようにごく普通、特に問題になるような内容ではない。問題になっているのは、それが香港の公用語である広東語(繁体字)や英語で書かれているのではなく、簡体字で書かれているからだ。これでは違反するのは中国本土から来た人と決めつけていて、失礼ではないかという論理。しかも掲示されたのが、中国本土から来た人が多く住む地域だけだったので、余計騒ぎは大きくなった。
 
  警告はそれを見た人に容易に理解して貰えないと意味がない。それにはいつも使っている言語で書かれた方が分かりやすい。そんなことから、多くの住人が中国本土からの人なので、警告も簡体字にすべきだ、と警察は考えたのだろう。色々な国の人、言葉を使う人がいるからと、色々な言語で警告文を作るべきなのかも知れないが、あまり色々な言語で作ったら反って目立たなくなり、分かり難くなってしまうということもある。
 
  こんな話をしていたら、自分の住んでいる日本の地方都市でも、ゴミ出しの注意事項がある国の言葉で表記されている、と話してくれた人がいた。日本語での注意書きもどこかに掲示されているのかも知れないが、その外国語で書かれた看板がやけに目立っていたとのこと。自治体が作成したものか、近所の人があまりのいい加減さに頭に来て勝手に作ったのか、不明とのこと。日本のゴミの区分があまりにもマニアックというか、細分化され、難しすぎるということもあるのかも知れないが、外国で暮らしていて、自分の国の言葉でだけ、でかでかと注意書きが掲示されていたら、やはり気分は悪いのではと思う。
 
  一見同じような香港のケースと日本のケースだが、大きな違いがあると思う。後から入ってきた人達に自分達の社会を乱して欲しくない、汚くして欲しくないという気持ちと共にその人達への蔑視というか、自分達より下と見る気持ちが掲示する側、言い換えればその社会のメジャーである人達にあるのは、両者とも同じだと思う。しかし、香港のケースでは、掲示される言語側の人達がそれを蔑視として取り上げるのに対して、日本のケースでは、それを飲み込んでしまう、耐えてしまうところが違うのではないかと思う。と言うか、メジャー側でもそれはおかしい、いけないことだと思う人がいる香港と、圧倒的多数を占めるメジャー側がそんなことに全く無頓着な日本、という差か。
 
  香港の人は外国人慣れしているのだと思う。外国人の中で暮らし、色々なポジションの中での自分を経験しているので、他の国の人の立場も理解出来るというか、感覚がつかめるのではないかと思う。これに比べると、日本人は日本国内で暮らしている限りメジャーであり、国籍という意味でのその社会での少数グループに身を置いた経験がないので、それらの外国人の気持ちになって、その行動を理解することが不得手なのだと思う。
 
  オーストラリアの人とビジネスをすることになった時、先輩から言われたのは、「あの国の人の英語が半分わかったら英語の達人。苦労するぞ!」と。でもその忠告が信じられない程、その取引先の社長の英語は分かりやすかった。それで先輩からこう言われたと話したら、「自分も移民としてオーストラリアに来て、相手の言葉が分からず、自分の言うことも分かって貰えなくて泣きたいほど苦労した。だから状況を見ながら、努めて分かりやすい英語で話すようにしている。」とのことだった。確かにご家族との会話は英語らしいのだが、その時の私には半分どころか単語が時々わかる程度でした。
 
  このような言葉での苦労が、他の国の人への心遣いに通じることは多いのではないかと思う。そして国内でメジャーな人達として暮らしている日本人には、外国人という、日本国内の少数民族に気配りをする機会が少ないため、よその世界が見えず、日本国内への気遣いだけでの行動が、世界の顰蹙や笑いものになってしまう、なんてことが出てくるのだと思う。
 
  世界中のあちこちからの観光客が、日本へ。それも観光地だけでなく、町や村、あちこちに来て、たとえトンチンカンでも笑顔での会話をその土地の人達とする。それが国際化なんてうすっぺらな雰囲気ではなく、世界の中の自分の立ち位置と、日本人を考えられるようにしてくれるのではないかと思う。
 
  観光客の落とすお金目当ての観光立国ではなく、日本人の意識改革の一助としての観光立国もあってよいと思うのですが、いかがでしょう。
 
  関 俊也著

本 名 関俊也
E-mail seki-s@soknet.com.hk
略 歴 昭和19年生、獅子座。東京理科大学理学部物理科卒。卒業後、折からの学園紛争で学士入 学するはずの大学がその年に限り学士入学を取らず、研究室でブラブラしているときにお もしろそうだと訪問したのが、コンピューター(その当時はリレー式コンピュータ)で日 本語を処理しているという会社。いつのまにか入社。1979年、同社香港オフィス創立で 香港に赴任、1992年に同社を退職。趣味で始めたパソコンに関するコンサルタントとして 香港に残り自営。1994年後半、会長をしていた香港日本人倶楽部パソコン研究会がインタ ーネットで大いに盛り上がり、1995年にその友人達とインターネットプロバイダーを設立、 その後、インターネットコンテンツを専門に扱う会社、SokNet Planning Ltd.を設立して 現在にいたる。
メルマガ無料登録   |   広告掲載   ||   お問い合わせ   |   ご使用条件   |   プライバシー・ポリシー サイト運営:
Copyright © 2009 The hong kong. All rights reserved.