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2009年7月7日 更新 
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[赤柱-1]★漁村、海賊、駐屯地

香港南東部にある観光地兼高級住宅街の赤柱(Stanley)を今回から紹介していきます。名前の由来ですが、昔は木綿の木がたくさん建っており、それが夕陽に反射して木が赤柱に見えたからだそう。英語名は、1800年代中ごろに3度にわたってイギリスの首相を務めたEdward George Geoffrey Smith-Stanley(第14代ダービー卿でもある)からです。

中国の文献に赤柱の事が書かれているのは明朝(1573年~1620年)の時代で、普通の漁村でした。一方で、海賊の拠点としても使われ、映画化されるほど香港人なら皆知っている有名な清朝時代の海賊、張保仔(Cheung Po Tsai)の財宝が隠したという洞窟の1つもここで発見されています(彼が作った一番有名な洞窟は長州島にあり、観光地にもなっている)。ちなみに彼の最盛期は600艘、50000人の部下を従え、敗戦したものの清朝とポルトガルの連合軍と戦争をするなど、とても海賊とは思えない勢力を誇っていました。張保仔にとってソマリアの海賊なんてちっぽけなものでしょう。

1841年の香港島の人口は7400人で、そのうち2000人は赤柱に住んでいました。理由は、ここにイギリス軍の駐屯地が作られたからで、住民のほとんどが軍人だったと思われます。風光明媚な景色にひきつけられた外人が多く、ここに住み始めたため栄えたといわれていますが、筆者は、それは2次的な理由であると思っています。イギリス軍人が多く住み、それゆえ外国人が中心となった街が栄えていったというベースがあったからこそ、多くの人が流入し発展があったと考えるほうが自然だからです。そしてそれが1970年代以降に赤柱市集(Stanley Market)を中心とした観光地に“進化”し、今に至ったと推測しています。(武田信晃著)
  
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