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返還記念日に、四川大地震と秋葉原の事件を思う 7/01更新 7月1日は香港返還記念日。今でも11年前の、豪雨の中で始まった返還式典の様子ははっきり思い出すことが出来る。大きな変化を前にした「何とかなる」という漠然とした思いは、被災者というか、事変の当事者になってしまったけれど、何とか乗り越えられるだろうという予感と、生き抜いてみせるという決意のミックスしたようなものだったと思う。 私と同じように香港が英国から中国になる式典を複雑な気持ちで迎えた多くの香港人も、最近の調査では、四川地震と北京オリンピックで中国人としての気持ちが高まってきたとのこと。あと一ヶ月に迫った北京オリンピックは、競技が始まると、香港の人々の中国人意識を大いにもり立てると思われます。しかし、四川地震の方は同胞として何とかしなければということでは中国人意識を大いに認識する一方、現地での色々な出来事には、本土は香港とは全く別次元、別世界だと再認識させたと思いました。 例えば「おから工事」。日本のマスコミでも盛んに取り上げられたが、何かあった時には地元の人の避難所にもなるべき学校の校舎が、6000棟以上も瓦礫と化した。強度計算の誤魔化しは日本でもあり、業者との癒着による手抜きは香港でも発生している。しかし、ここ四川での工事はそんな生やさしいものではなく、出来ているのは見かけだけ。壊れた建物の隙間から中にいる被災者を発見出来るように日本から派遣された救助犬も、一つの泥山となって盛り上がった、日本とは全く状況の異なる倒壊現場では探しようがなかった程。香港人の寄付で建設された校舎が、多少ひびがはいっている程度で建物として全く問題なく地震前と同じ姿を保っている脇で、ただの泥山となっている校舎。テレビで繰り返し放映された、手抜き工事だ、人災だ、子供を返せと泣く親御さん達に共感すると共に、香港の人達はその泥山に香港とは次元の違う本土を見た故、香港のマスコミでもあれ程大きく取り上げられたのだろう。 また、これも香港の新聞で大きく取り上げられたが、被災した子供達を鉄格子で囲い、親と言えども鉄格子越しにしか面会させないというやり方。これは子供の誘拐を防止するための処置。地震という大きな災害があって、いくら人手があっても足りないほど忙しいはずの地元役人が、その中でさっとこんな処置をするというのは、この地方では「どさくさ紛れに子供をさらって金儲け」が一部の悪い人だけが思いつくことではなく、ごく普通に発生する事件として、優先度高くその処置が役所によって執られたのだと思う。これも香港とは全く違う本土として香港の人に強く印象づけられたことだろう。 もうひとつ。病院に詰めかける患者を追い払うのが、地元赤十字の仕事だったとは、ボランティアで現地に出かけた知人の話。日本をはじめ各国が医療チームを派遣、特にドイツは病院一つ分と言われるほどの施設を持ち込んだとのこと。そこに押し寄せたのは地震で怪我をした、病気になった人だけでなく、外国の最新の医療を受けたいという地震とは関係のない病人も多かったようで、地元赤十字(中国式には緑十字)はかなり強引に対応していたと、そこで通訳していた彼。会議で声の大きな人の意見が通ってしまうのと同じように、ここでも元気な患者(?)が先を争うようなことが多かったようだ。 香港で悠々自適の生活をし、情熱を持って祖国の被災地にボランティア(注:香港政府の試験のようなものに合格しないとなれない)として出掛けていった彼は、語学力を買われて契約更新を求められたそうだが、色々見えてしまった現在は、当初の情熱はなくなってきたと話してくれた。現地に出掛けたわけではない、ごく普通に、テレビや新聞の報道で現地の情報を得ている香港人も、同じような感覚だろうと思う。 彼との会話が秋葉原の無差別殺人事件となった時、地震で親を亡くした子を誘拐、売って金儲けは許されることではないが、「金儲け」という犯人のしたかったことは理解出来る。でも秋葉原の事件の犯人がしたかったのは何なのか、全く分からないと彼。 誰も自分に関わってくれないと、見知らぬ人を巻き込んで事件を起こした秋葉原事件の犯人とそんな人を出した日本の社会。中国本土の、他人と企んだり、他人を騙したりと人と関わりの中で自分の欲望、そのまま丸出しで悪事を進める事件の犯人とその社会。どちらも病んでいるけど、症状としては日本の方が重いというか末期的。中国の方は重体だが病気としてはわかりやすいのではと思った。 そうなると、香港が一番まともとなる。香港返還11年。「I agree」のすっかり香港人の私でした。 関 俊也著 |
| Editor
紹介 |
| 本 名: |
関俊也 SokNet Planning Ltd.代表 |
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| E-mail: |
seki-s@soknet.com.hk |
| 略 歴: |
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| 昭和19年生、獅子座。東京理科大学理学部物理科卒。
卒業後、折からの学園紛争で学士入学するはずの大学がその年に限り学士入学を取らず、研究室でブラブラしているときにおもしろそうだと訪問したのが、コンピューター(その当時はリレー式コンピュータ)で日本語を処理しているという会社。
いつのまにか入社。1979年、同社香港オフィス創立で香港に赴任、1992年に同社を退職。
趣味で始めたパソコンに関するコンサルタントとして香港に残り自営。
1994年後半、会長をしていた香港日本人倶楽部パソコン研究会がインターネットで大いに盛り上がり、1995年にその友人達とインターネットプロバイダーを設立、その後、インターネットコンテンツを専門に扱う会社、SokNet
Planning Ltd.を設立して現在にいたる。 |
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